<独占>天安門事件参加者が歩んだ26年間、揺れ続けた心の記録(4/4)―「当時の学生リーダーたちの今」

Record China    2015年6月4日(木) 12時20分

拡大

4月13日、天安門事件の元学生リーダー熊氏が病気の母親との面会を求め、帰国を認めるよう公開書簡を発表した。同じく元学生活動家で台湾に渡ったウーアルカイシ氏も記者会見を開き、熊氏を支持する旨を明らかにした。AP Photo/Wally Santana

(1 / 2 枚)

以下に記載するのは、Record Chinaが最近の取材もしくは連絡のやり取りで入手した学生リーダーの略歴と現在の状況だ。

その他の写真

王丹(ワン・ダン)氏:

1989年当時、20歳の王氏は北京大学の1年生だった。6月4日の軍による制圧が起きた後、安徽省の親戚の家に身を隠したがすぐに北京に戻り、7月2日に逮捕された。裁判で4年間の有期刑が言い渡されたものの、93年に自由の身となる。2年後、抗議活動に参加して逮捕された仲間の釈放を求めたことが原因で再び逮捕され、「国家政権転覆扇動罪」による11年間の有期刑が下された。98年、クリントン米大統領(当時)の中国訪問前に、病気が重篤化したり、体が不自由になったりした受刑者に対して当局が認める治療措置が適用された。同年、王氏は中国を離れ、ハーバード大学に入学。現在は台湾で大学教授を務めると同時に、ソーシャルネットワークを通じて当時に関する評論などを精力的に発表している。天安門事件26周年を記念するため、統一のスローガンを世界中に張り出し、中国共産党に圧力をかけようという運動も展開しているところだ。昨年から飼い始めた犬に「豆豆」と名付け、ネットでも紹介している。「豆豆」の話題に対するネットユーザーの関心は、政治的なテーマを遥かに上回っている。

ウーアルカイシ氏:

北京生まれのウイグル族で、1989年当時は北京師範大学の1年生だった。当時の李鵬(リー・ポン)首相と学生リーダーとの会議の様子がテレビ中継された際、同氏が首相を非難する姿に世間は驚かされた。当局による鎮圧が終わってから10日間ほど逃げ続けた後、当時英国領だった香港に脱出。その後、フランスに渡り、さらに米国へと向かった。現在は台湾で民主活動家として行動し、選挙出馬も表明している。21人いた学生リーダーのうち、同氏は今でも中国政府を強烈に批判する人物の1人で中国への入国は禁止されている。ダイエットによって健康維持を目指す同氏にとって、水泳は重要な日課だ。敬愛する作家は村上春樹氏。イスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した際の「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そうした時に私は常に卵の側に立つ」とのスピーチに感銘を受けたという。

熊●(シオン・イエン、●は火3つ)氏:

1989年、熊氏は北京大学法学部の院生で、中国共産党の予備党員でもあった。同氏は政府と話し合いをするために選ばれた人物の中の1人だ。学生運動が鎮圧された後、党脱退を宣言し、身を隠した。その後逮捕され、1年半もの間、自由を失うこととなる。釈放後、漁船に乗って香港に渡った同氏は92年に米国からの支援を手に入れた。キリスト教徒となり、マサチューセッツ州のゴードン・コンウェル神学校で学んだ後、米陸軍の牧師となってイラクに赴いた。今年4月、病気で危篤状態に陥った母親を見舞うため、校友でもある李克強(リー・カーチアン)首相に対する公開書簡を発表したが、帰国したいという同氏の思いは聞き入れられなかった。香港から中国本土に入ろうとしたところ、最終的に入国を拒否された。(記事/レコチャ取材班・編集/野谷

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携