日本僑報社 2015年6月13日(土) 13時57分
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日中関係は文化交流の面では双方の関係者が継続的に友好に尽力してきた。中山大学の潘寧さんは、日本語を学ぶ者として日中友好のためにできることは何かについて、日本人のおばあさんの姿から学んだことを作文につづっている。資料写真。
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日中関係は近年、政治的に緊張状態が続いた反面、文化交流の面では双方の関係者が継続的に日中友好に尽力してきた。中山大学の潘寧さんは、日本語を学ぶ者として日中友好のためにできることは何かについて、以前出会った日本人のおばあさんの姿から学んだことを作文につづっている。
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「ねえねえ、お姉ちゃん、あれ何?」と、妹が本棚を指しながら私に聞いてきた。彼女が指したのは、日本人のお嬢様の格好で鮮やかな着物を着ていた人形だった。私は観光中に出会ったおばあさんのことが頭に思い浮かんできた。
数年前のある日、私は清朝時代から保存された宮殿を見学していた。そこは日中戦争の指揮所だったこともあり、外国人の見学者も大勢訪れる。見学していると、部屋の隅から日本語の話し声が微かに聞こえてきた。周囲を見回すと、7、8人のおばあさんの姿が目に映った。「日本人の観光客なのか。もうあんな年なのになぜ中国へ?」と不思議に思って、私はおばあさんたちの後について別の部屋に入った。そこは清朝皇帝の霊位を祭っている所だった。他の展示室に比べると、ここはちょと物寂しく、中国人の見学者でも一目見るくらいですぐに出て行く。おばあさんたちもガイドの説明を聞いてすぐ出るだろうと思いきや、そうではなかった。
1人のおばあさんが霊位の前でお辞儀をし、座敷に膝をついて合掌し、何か祈っていた。他のおばあさんたちも、次々と同じことをしていた。おばあさんの礼儀正しい様子に私は驚かされた。中国人の私でさえも、膝をつくどころか、自分の祖先にお辞儀をしたこともない。見学の後、私は上手ではない日本語で声をかけた。さっきのことについて聞いてみると、「中国の祖先を拝むことで、平和を祈りたいの」とおばあさんは言った。「実は日中戦争の時、私は両親と中国にいたの。当時の人々が生活に困った様子はどうしても忘れられない。定年になってから、私は毎年中国へ来て、何かをすることで平和を伝えたいの。さっきもこの気持ちを祈っていたのよ」と言った。そして、「お嬢さん、あなたはまだ若いから、よく日本語を勉強して、自分の力で何か行動してみてね」とニコニコしながら続けた。別れる際に、おばあさんは人形をくれた。それがあの人形だ。
私はこの人形を見るたびに、おばあさんの言った心温まる言葉と白髪、背の曲がった姿が思い出される。おばあさんははるばる日本から中国へやってきて、自分の経験によって平和の大切さを教えてくれた。おばあさんと比べると、自分を恥ずかしく思う。私は日本語を6年間勉強したが、毎日勉強しているだけで、なぜ日本語を勉強するのかといったことは一度も考えたことがなかった。平和を唱える方々が日中友好のために力を尽くしているのを、自分にはできないこととずっと思っていた。
しかし、おばあさんの話で私は分かった。おばあさんは有名人ではないが、自分の力と情熱で平和を願う気持ちを伝えてくれた。できることはささやかでもいい。その気持ちが大切なのだ。日中友好のために活動している人は政府官員にせよ、おばあさんのような庶民にせよ、誰もがヒーローなのだ。中国では昔から「儒教」を礼儀教育の経典と見なしている。その中の治国に関する「和諧天下」の思想は、古代の統治者に認められてきた。それはつまり、「天下は協調」という意味だ。私は日本語を身に付けて、できるだけ両国の「協調」のために自分の力を捧げたい。(編集/北田)
※本文は、第一回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「日中友好への提言2005」(段躍中編、日本僑報社、2005年)より、潘寧さん(中山大学)の作品「あるおばあさんとの出会い」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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