Record China 2015年6月24日(水) 14時53分
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17日、江蘇省揚州市儀征市の農村で生まれた張福龍氏は、貧困のため早くから学校を中退し、家で農作業を手伝っていた。
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2015年6月17日、江蘇省揚州市儀征市の農村で生まれた張福龍(ジャン・フーロン)氏は、貧困のため早くから学校を中退し、家で農作業を手伝っていた。しかし生来負けず嫌いな張氏は、農民でいることに飽き足らなくなり、南京に出稼ぎに出ることに決めた。そこで日本語の勉強を続け、日本語能力試験の最高レベルN1に受かり、日本へ留学、修士の学位まで取得した。そして現在、張氏は、中国人として初めて日本政府の認可を受けた外国語専門学校を日本で創設した。張氏は、「私は、今年で50歳ですが、精神的にはまだまだ若いです」と語る。張氏は、自分のキャリアを活かして、もっと多くの若者が夢によって人生を変えることを応援したいと思っている。揚州晩報が伝えた。
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■ゴミ漁りの日々から、日本語能力試験N1に合格するまで
1992年、小学校レベルの教育しか受けていない張氏は南京に出稼ぎに出た。しかし、労働者の募集市場で挫折を味わった張氏は、ゴミ漁りの年配者とともに、ゴミの中の宝探しの仕事を始めた。
ゴミ漁りをしている頃は、軽蔑や誤解、恥辱を受けることはしょっちゅうだったが、張氏は黙ってこれらを受け入れた。その後、映画館の掃除の仕事をしている時、1人の留学生に出会ったことから、張氏の頭に日本語を勉強するという考えが浮かび、仕事を辞めた。そして、昼間はゴミ漁りをし、夜は日本語を学んだ。人並み外れた気力で夢を追い求め続けた結果、張氏は1995年に見事試験に合格し、日本語能力試験N1を取得した。
農村から都市に出てきてゴミ漁りをしていた張氏は夢を追い求めることを諦めず、毎日日本語を勉強した。ほどなくして南京の複数のメディアが張氏のこれまでの経歴を報道したため、イメージアップを図る多くの会社から張氏にスカウトの話が舞い込んだ。しかし、意外なことに張氏は20数社にも及ぶ会社からのオファーをすべて断り、故郷の儀征市に戻り母校で教壇に立つ道を選んだ。
■日本留学を志すが、ビザ申請で借金を抱える
教師として日本語を教える中で、張氏の心の中に日本に留学したいという考えが浮かんできた。しかし、海外に留学することは容易なことではない。張氏は日本語の上級課程を独学で学びながら、日本側と留学の件で連絡を取り合いながら準備を進めた。しかし、初めての留学の申請は失敗に終わった。しかも、かなりの借金を背負ってしまった。しかし、それでも張氏は日本で留学するという夢を諦めずに、2回目の申請の準備を始めた。
ちょうどその頃、奈良県にある日本語学校の上田市朗校長が、張氏から送られてきた書類を見て、張氏の経歴に心を打たれた。その後、上田氏は中国にいる張氏を3度も訪ね、張氏のためにビザ申請のためのさまざまな手続きを行った。1997年4月16日、張氏はついに日本の地に足を踏み入れた。
■アルバイトをしながら学び、天理大学に合格
奈良の日本語学校で学んでいる期間、午後の時間を利用してアルバイトに励み、それで得たお金を借金の返済にあてた。午前中は奈良市の学校に通い、午後は天理市の家電量販店で働き、夜間は宅配便を取り扱う物流会社でアルバイトをした。アルバイトが忙しくても、張氏が学ぶことを諦めることはなかった。
毎日深夜に家に帰宅し、どんなに遅くなっても、日本語を1時間は勉強した。最終的に、張氏は語学学校の出席日数の最多記録を塗り替え、学校で唯一の皆勤となった。1999年4月、張氏は天理大学に合格し、大学で一番年上の学生となった。
■日本語教員養成課程を専攻し、博士課程で学ぶ
天理大学では日本語教員養成課程を専攻した。「私の夢は故郷に戻り、故郷のより多くの青年が日本語を勉強し、日本を理解し、それによってより多くの就業チャンスを得て、より良い故郷を築けるように、日本語学校を設立することだ」と語った。
大学を卒業した後、張氏は一気に次の段階へと歩を進めた。2003年4月、大阪大学人間科学研究科の大学院に合格。教育心理学大学院の2年間の課程を滞りなく終了した後、京都外国語大学の外国語学研究科博士前期課程に進んだ。2006年9月、わずか1年半で京都外国語大学の博士前期課程の修士の学位を取得した。
■中国人として初めて日本で外国語専門学校を創立
「もっと多くの若者の人生を変えたい。この信念は一貫して変わることはない」と語る張氏は、2004年12月に、故郷で日本語教育センターを創立したいという希望を綴(つづ)った手紙を当時の儀征市市長に送った。この提言は、儀征市政府の支持を得た。2005年1月12日、張氏は、儀征市福龍日本語教育センターを正式に創立し、日本のいくつかの大学と提携関係を結び、推薦した1000人の学生を日本に留学させることになった。
しかし、張氏の夢はこれだけに終わらなかった。「日本政府の認可を受けた民間の語学学校を創立し、日本に留学をした学生が実践的な知識を身につける手助けをしたい」という張氏の夢はすでに実現した。これまでコツコツと貯めてきたすべての貯金を使い果たし、長年築いてきた人脈を使って、長い時間をかけて申請を経た後、張氏は中国人として初めて伊丹国際外国語学校を創立した。同学校は昨年10月から正式に学生を募集し、つい最近第一期生の入学式が行われたばかりだ。
張氏は、「私は、今年で50歳ですが、自分でも精神的にまだまだ若いと感じている。私は今後もさらにいろいろなことを成し遂げることができる」として、「人は自分の出生を選べないが、未来の道はいつでも自分自身で切り開いていくことができる」と語った。(提供/人民網日本語版・翻訳/MZ・編集/武藤)
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