「中国人民の古くからの友人」は日本人が最多の111人、背景に70年代の外交情勢―中国紙

Record China    2015年7月15日(水) 3時46分

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10日、中国紙・中老年時報は、「中国人の古くからの友人」という呼称が与えられているのは、世界で日本人が最も多いことに触れ、その背景には1970年代の外交情勢があったと述べている。写真は中国で出版された田中角栄の伝記。

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2015年7月10日、中国紙・中老年時報は、「中国人の古くからの友人」という呼称が与えられているのは、世界で日本人が最も多いことに触れ、その背景には1970年代の外交情勢があったと述べている。

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中国の外交辞令の中でも人情味のある政治的呼称は「老朋友(古くからの友人)」だ。この呼称が初めて現れたのは1956年の人民日報で、カナダ人の宣教師ジェームズ・ガレス・エンディコットだった。その後、123カ国、少なくとも601人が「中国人の古くからの友人」と呼ばれるようになった。

その中で最も多いのは日本人の111人だ。2位は米国人だが、それでも日本人の半分にも届かない。日本人と米国人はいずれもかつて敵と見なされていたが、1970年代に数多くの「友人」が現れた。それはすべて外交情勢のなせるところであった。

1971年7月15日、キッシンジャーの極秘訪中後、米中は翌年にニクソン大統領が訪中することを発表。当時の佐藤栄作首相は発表の3分前にその情報を受け取ったという。だが、米国の動きは日中関係にとっては有利に働いた。中国に対し友好的でない佐藤政権が終わり、国交正常化に積極的な田中角栄が首相になると、日本国内でも「和製キッシンジャー」の登場が待望された。

それと同時に、日本の政界では米国に先駆けて中国と国交を結ぶべきだとの声が高まる。自民党の古井喜実議員は「北京空港は米国大統領ではなく、日本の首相に最初に開かれるべきだ」「日本はできるだけ早く中国と国交を回復するべきだ」と述べた。田中角栄も、古井喜実も、そして民間外交の代表格である松山バレエ団の創始者の清水正夫夫妻も、後に「中国人の古くからの友人」となった。外交情勢の変化がなければ、彼らの名前が中国人に広く知られ、記憶されることはなかっただろう。(翻訳・編集/岡本悠馬)

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