日本僑報社 2015年7月27日(月) 8時34分
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安保法案をめぐってさまざまな意見が飛び交い、「平和」の意味が改めて問われている。威海市職業技術学院の何倩さんの作文には、あまり知られることのない戦争当時の日本人と中国人の交流、平和への思いが記されている。
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私が子どもの時、おばあさんはいつも若い時のいろいろなことを話してくれました。私がいつも真面目に聞いていたのは、おばあさんの物語が本当におもしろかったからです。おばあさんは「あの時、私は17歳で、お母さんと一緒に秦皇島で暮らしていた」と言いました。その時期、中国には日本人がいっぱいいました。あの誰でも知っている戦争があったからです。中国人にとって忘れられない戦争でした。
戦争の時、中国には日本人の軍人も大勢いれば、軍人の家族も大勢暮らしていました。おばあさんが住んでいたアパートには日本人が多かったそうです。おばあさんは日本人の女性がとてもきれいで、優しかったと言いました。おばあさんととても仲の良い友達になった日本人女性がいました。彼女はとても賢く、結った髪は美しかったそうです。いつも、おいしい食べ物を作っておばあさんにくれたり、おばあさんに化粧を教えてもくれたそうです。彼女たちはおばあさんに日本語を教え、おばあさんも彼女たちに中国語を教えました。お互いに心から信頼できる友達になりました。親しい雰囲気の中で、おばあさんは日本人と一緒にずっと何年も助け合って生活していました。
そんなある日、戦争がやっと終わりました。中国に住んでいた日本人たちは日本へ帰らなければなりませんでした。おばあさんにとって、それはうれしいことでもあり、また悲しいことでもありました。友達と離れ離れになってしまうからです。もしかしたら、一生会うことができないかもしれません。しかし、仕方がありませんでした。おばあさんに化粧を教えたことがある女性は帰って行く前に、おばあさんにくしを一つ記念にくれたそうです。それから、おばあさんはずっとそのくしを身に付けています。おばあさんはくしを見るたびに、「私の友達たち、お元気ですか?」と独り言を言います。そして、時々習った日本語も教えてくれました。私はとても感動しました。そして、日本人や日本語などが好きになり、日本語の勉強を始めました。
今、中国と日本の関係が厳しくなっているニュースが多いです。そんなニュースを聞くと、おばあさんの物語を思い出します。昔は戦争があっても、中国人は日本人と友好関係ができました。今は戦争がない平和な時なのに、どうして友好関係ができないのでしょうか。両国にとって一番大切なのはお互いに理解を増やすことだと思います。私たちは両国が平和で、友好的に交流できることを楽しみにしています。なぜならば、国民にとって何より安心なのは、平和的な友好の時代に暮らすことができることだからです。(編集/北田)
※本文は、第二回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「壁を取り除きたい」(段躍中編、日本僑報社、2006年)より、何倩さん(威海市職業技術学院)の作品「おばあさんの物語」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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