日本僑報社 2015年11月23日(月) 16時20分
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日本人が気になる中国人の習慣として、声が大きいということが挙げられる。吉林華橋外国語学院の張蕊さんは、そこに日本と中国の考え方の違いがあると主張している。資料写真。
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日本人が気になる中国人の習慣として、声が大きいということが挙げられる。中国人観光客の増加に伴い、日本では主にマイナスイメージとして語られることの多い問題だが、吉林華橋外国語学院の張蕊さんは、そこに日本と中国の考え方の違いがあると主張している。
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日本のあるドラマを観ていた時、「ぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃねぇよ」というせりふを聞いて、私はかなり鮮烈な印象を受けた。この「ぎゃあぎゃあ」という副詞は、完璧にその騒いでいる様子を表していたからだ。だが、私にしてみれば、この言葉にはマイナスの意味ではなくて非常に温かいイメージが含まれている。
高校の時、電車やバスで帰る際にも、自分の周りの人たちの話を聞いていると疲労感も解消できていた。きっと、あの人たちにとっても黙っているよりも話すことの方がストレスを発散できていたのだろう。中国人の私はこういうやかましい雰囲気を楽しんでいた。
日本へ留学に行ったクラスメートとたまに連絡を取って、「日本はどうですか」と聞くと、「日本人は本当に静かで礼儀正しいけど、中国人のように電車やレストランで騒がしいタイプもいるようね」と彼らは話した。私は別に意外だとは思わなかった。もしいつか日本へ行くチャンスができて、そういう日本人を見かけても、私はたぶんがっかりする代わりに親しみを感じるだろう。私は日本人や中国人にかかわらず、静かな人は奥ゆかしいし、騒ぎ立てる人は素直だと思っているのだ。
また、日本人の先生から聞いた話だが、1965年ごろ、日本のある著名な国語学者がテレビ番組に出演し、「都会のバスの乗客は静かにしているが、田舎のバスの中は賑やかに話し合っている。それが正常だ」と話していたそうだ。日本を高度に発達している都会と例えるとすれば、中国はまさにその自然な環境にある田舎の方ではないだろうか。
周りの迷惑を気遣うことが日本式の気配りである一方、他人が自由に話すことで心身をリラックスすることを許すのも中国式の気配りだ、と私は思う。どれだけ自分に厳しく要求する人間でも、日常の枠組みから解放されたい時があるはず。そういう時はあの人を理解しよう、と公共の場所で大声でしゃべることを黙認するのも、中国社会なりの公衆道徳だと言える。つまり、日本人の「人に迷惑をかけるのはいけない」と比べて、中国人は「自分に迷惑をかけた人の気持ちをくむ」ということをもっと重視するのだ。
日本の皆様、どうぞ中国で、バスの中の盛り上がった雰囲気を味わってください。情熱や大きな包容力、そしてさまざまな未知の魅力を秘めた騒がしい中国。この広大な土地で生まれて成長し、これからもここで生活していく私たちは、同じ色の髪と肌を持っている日本人の皆様にぜひ中国へ来ていただきたいです!(編集/北田)
※本文は、第八回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「中国人がいつも大声で喋るのはなんでなのか?」(段躍中編、日本僑報社、2012年)より、張蕊さん(吉林華橋外国語学院)の作品「騒がしい中国」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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