戦後、中国に嫁いだ日本人女性は11万人=中国ネット「当時の中国人は寛容だったんだな」「戦争で割を食うのはいつも庶民」

Record China    2016年1月20日(水) 7時0分

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18日、中国網は、「戦後11万人の日本の女性は、なぜ中国に嫁いだのか」と題する記事を掲載した。写真は旅順の関東軍司令部跡地。

2016年1月18日、中国網は、「戦後11万人の日本の女性は、なぜ中国に嫁いだのか」と題する記事を掲載した。

記事は、「1945年8月の関東軍の敗戦で難民となった日本人が130万人に達し、恐怖と飢餓の問題を解決するため、11万人の女性が中国人男性と結婚した。その後、中国で生活していた日本人の中には祖国に帰る者たちも続々と現れたが、特に中国人と結婚した日本人女性の多くは中国にとどまった」とし、その中の一人である浩代金子という女性を紹介している。

浩代金子は1940年初め、高校を卒業後、未来の夫と共に朝鮮へ移った。しかし、夫は朝鮮で戦死し、子どもは行方不明となった。戦乱の中で金子は中国の延吉へ逃れ、牡丹江駅憲兵小隊長の男性と再婚した。ところが、金子の2番目の夫も、1945年8月にソ連軍との戦闘の中で死亡した。中国に親戚がいなかった金子は、あちこちを逃げ回った。そして、3番目の夫である中国人と再々婚した。夫の家族や親戚は、やっと嫁が見つかったと言ってよく面倒を見てくれた。実際、当時は多くの国民党の兵士が知り合いの、あるいは恋愛関係にある日本人女性をかくまっていた。

こうした中国に残った女性の多くは、中国で生涯を過ごした。彼女たちの子孫の中には、日本に帰ったり、日本で仕事をしたり、また日中友好のために両国の高官の往来に大きく貢献した人もいるという。

この報道に、中国のネットユーザーからは、「そんなに多かったのか」「どうりで東北に裏切り者が多いわけだ」「日本の男が残ってなかったからだろう」「日本人妻はやっぱりいいよな」といったコメントのほか、「庶民にはどうしようもなかった時代」「戦争こそが間違いだったんだ」「戦争の動乱の中で、割を食うのはいつも庶民だよ」「当時の中国人は寛容だったんだな。戦争は彼らによるものではなかった。だから二つの敵対した人々が一緒にいられたんだ。中国人は残された日本人に無差別に報復はしなかった。やろうと思えばできただろうがしなかった。現在の人々にもよく考えてほしい」といったコメントが寄せられている。(翻訳・編集/北田

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