日本僑報社 2016年4月30日(土) 14時30分
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日本にマイナスイメージを抱いている中国人は多いが、些細なことがきっかけでそうしたイメージに変化が起きることもあるようだ。山西大学の任静さんは、反日の母が日本に対して心を開いていく様子について作文につづっている。
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先生のおかげで母の日本人に対するイメージが変わった。日本に関する話が出ると、昔なら母はきっと急所を突かれたようにひどく気を高ぶらせ、否定し続けていたが、今は自分の気持ちを抑えるかのように少し落ち着いて、私の話にちゃんと耳を傾けるようになった。些細な変化だが、それはまさに先生のおかげだと思う。
私が大学の専攻に日本語を選択した時、母は猛反対した。私の意見を母もいやいやながらも認めてくれたものの、勉強の事には無関心を装っていた。大学2年生の時、作文コンクールに参加するため、週末に部屋に閉じこもって作文を書いていると、母は後ろから「何よ、わからない字ばかりじゃない」と声をかけてきた。何か言いたげな顔をしながらも、しばらく経つと部屋を出ていった。同じことが3度繰り返された後、母はやっと「これ、なに?」と口を開いた。
「やっと興味を持ってくれたか」と思って「作文だよ」といったら、母は思わず吹き出し、「日本語の作文?中国語の作文だってろくに書けないのに…」と皮肉を言った。「ちゃんとしたいの。先生も真面目なんだから」と私が言うと、「先生?」と母。私が「日本人の先生」と答えたら、いきなり立ち上がってパッと作文を取り上げた。部屋中に時計の音が響き渡るほど静まり返り、それが一層空気を重くした。母はまた無言で部屋を後にした。残された作文用紙が机に散らばり、手の跡がくっきりと見えた。母にとってそこにはどうしても越えられない溝があるのだろう。
ある日、外から帰ってくると、なんと母が私の作文を読んでいた。私に気づき、母は何気なく「掃除の時にたまたま…」とその場を離れようとしたが、ためらいがちにまた戻り、少し落ち着いて「どんな先生なの?」と聞いた。聞き違えたのかと思ったが、母はまた「先生って、真面目な人ね」と言った。私の先生が日本人と知ってから、てっきりもう一切日本語の話題を口にしないのかと思っていたが、まさか日本人に興味を持つなんて夢にも思わなかった。その時、先生の添削に目がとまった。作文のところどころに赤ペンで数えきれないほどの丸が付けられ、文章の誤りや同様の言い回しなどが記され、先生からの評価も鮮やかに書かれていた。そのはっきりとした赤い色が母の心までしみこんできたのだろう。
母に先生のことを色々話した後、母は思わず笑い出し「普通の先生ね」とほっとしたように微笑んでいた。先生のおかげで母は初めて日本人についての話で笑った。母にとってそれは心の壁を乗り越え、大きな一歩を踏み出したといえる。「日本」という言葉は母の心に重く圧し掛かっていたが、先生の真面目さが母の心を打ち、母は日本人に新たな姿を見出した。先生は何もしていないし、母の変化すら知らないが、その真面目さが知らず知らずのうちに母に伝わったのだ。
母だけでなく、私たちにとってもそれは同じだと思う。先生は日本人で、書道がうまいし、中国語もぺらぺら話せるし、私たちが何か悪いことをしたらしっかり教えてくれたり、良いことをしたらほめてくれたりもする。先生は世間をあっと言わせるようなことは何もしていないが、母のように私たちが持っている日本人に対するイメージを少しずつ変えていく。それこそが先生のすごさなのではないだろうか。(編集/北田)
※本文は、第十一回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「なんでそうなるの?中国の若者は日本のココが理解できない」(段躍中編、日本僑報社、2015年)より、任静さん(山西大学)の作品「先生のおかげで―私の先生はすごい」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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