日本僑報社 2016年11月26日(土) 7時50分
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最近では日中関係に改善の兆しがみられるという報道もあるが、依然として回復したとは言い難い。韶関学院の蔡超さんは現在の日中関係について作文につづっている。写真は上海。
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昨年、戦後70周年という節目の年を迎え、関連するさまざまな行事が行われた。最近では日中関係に改善の兆しがみられるという報道もあるが、依然として回復したとは言い難い。韶関学院の蔡超さんは、現在の日中関係について、作文に次のようにつづっている。
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日中戦争が終わって、もうすぐ70年目を迎えようとしている。最近、中国国内のテレビでは、頻繁に日中戦争に関する番組を放送するようになっている。その中で、私たちがいつも耳にする言葉が一つある。「私たち中国人は日中戦争の歴史を心に刻み、国辱を忘れず、中華の夢を実現し、その歴史を日本人にも伝えなければならない」。
とても印象的な言葉だが、不思議なことに、私はこの言葉を聞くたびに、自分自身も分からずに、複雑な気持ちになってしまうのだ。なぜかというと、それは去年のお正月、上海に遊びに行った時に、ある日本人の中学生に出会ったことがきっかけだった。
上海と言えば、一番有名なのはやはり外灘の夜景!黄浦江の遊覧船に乗って上海の夜景、その美しさに完全に陶酔していた時だった。突然、後ろから「ステキ!」という日本語が聞こえてきた。大学で日本語を勉強している私は、思わず後ろを振り向いて、「ステキですね」と日本語で話しかけてしまった。その瞬間、一人のかわいい女の子があまりにもびっくりしたせいか、しばらくじっと私の方を見た後、だんだん笑顔に変わり、彼女から「こんばんは」とあいさつで返してくれた。
2人は出会ったばかりなのに、まるで何年ぶりに会った友達のようにいろいろと楽しく話ができた。別れる時に、彼女は私に「2008年に、中国の四川省で地震が起きたんですね。その時、私は被害者の皆さんに少しでも役に立てばと思って、募金したりしました。今はもう大丈夫なんですか?」と聞いた。その時、私は「もう大丈夫ですよ」とすぐ答えたものの、実は四川省で起きた地震のことはとっくに忘れてしまい、今どうなっているか全然知らなかった。その時、中国人でありながら、中国のことに今までずっと無関心であった私が恥ずかしくてたまらなかった。
先日、ネットで偶然2012年に放送されたNHKスペシャル番組「復興に歩む日中の人々〜中国 崔永元」を見た。被災地のボランティア活動に何度も参加する中国人留学生、日本を脱出する外国人が少なくない中で、日本にとどまった中国人ビジネスマンの姿はとても感動的だった。そして、中国の有名なキャスター崔永元さんが最後に残した言葉もとても印象的であり、大きなショックでもあった。「地震は、中国で起きようと、日本で起きようと、それは人類の災難である。無関心でいることは、中国人にとっても、日本人にとっても、それは人類の恥である」。
中国も日本と同じように地震が起きやすい国である。当時、中国人の防災意識はあまりにも低かったため、四川大地震では多くの命が失われてしまったのだ。一方、日本では、消防庁の施設で地震、火災、救急が無料で体験できる。地震体験コーナーでは、シミュレーション室でさまざまなレベルの体験ができ、避難の仕方も学ぶことができる。地震への備えは日常に浸透しているため、大きな地震があっても被害は少ない。
地震だけではない。例えば教育、医学、科学技術など、私たち中国人が学ばなければならないことはたくさんあるが、私たち中国人は日中戦争のため、学ぼうとするよりも恨みや憎しみなどが先に出てしまうのだ。日中両国の関係回復には交流は不可欠なものであり、今私たちが交流することこそ、日中両国の友好関係の架橋になるのではないか。(編集/北田)
※本文は、第十一回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「なんでそうなるの?中国の若者は日本のココが理解できない」(段躍中編、日本僑報社、2015年)より、蔡超さん(韶関学院)の作品「戦後七十年目の両国関係を考える」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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