海野恵一 2019年2月10日(日) 14時50分
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王陽明は「心を正しくすれば物事の本質が見えてくる」と説明しました。心を正しくするということは生まれたままの心にするということで、欲望をそぎ落としてすべてを無にするということです。その心についてもう少し掘り下げてみましょう。写真は中国・南京の地下鉄。
前号では「格物致知」について解説しました。この「格物致知」とは王陽明(1472~1528)の解釈によれば「心を正しくすれば物事の本質が見えてくる」と説明しました。またこの心を正しくするということは生まれたままの心にするということで、今まで育んできたさまざまな欲望をそぎ落として、すべてを無にするという意味だと説明しました。それではその心についてもう少し掘り下げてみましょう。
善悪が生じるのは人の欲望が生じてからです。そこで修練をかさねた「良知」があれば善悪を識別できるようになります。この「良知」とは前号で説明しましたように、正しいことをゆがみなく正しく写す人間の良心のことです。また、善を行い悪を退けることが「格物」の意味です。ここでいう修練とは三徳、五常、五倫の道徳的価値観を体得するという意味です。三徳とは「智仁勇」のことで、論語に「智の人は惑わず、仁の人は憂えず、勇の人は懼(おそ)れず」という言葉がありますがそのことです。また、五常とはおなじみの「仁義礼智信」のことです。五倫とは父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の5項目のことで、これは教育勅語のもとになった言葉です。この三徳、五常、五倫については後日詳細に説明致します。
また、相手の言葉を判断する以前に、その言葉をそのまま受け入れることはなかなかできることではありません。修練をしていないと七情が相手の言葉を受け入れる前にブロックしてしまうからです。七情とは前号で説明しましたが、喜、怒、哀、懼(く)、愛、悪(お)、欲のことです。
相手の立場になって「生まれた時のままの心」で聞くということです。その心が平静でいなければ相手の言葉を受け入れることは出来ません。心が安定していなければ相手の話が頭に入ってきません。さらに、ほとんどの人は社会的な地位とか、財産とか、家族とかのしがらみがあって、心を開いていないので、相手の話をきちんと聞いていないのです。ですから心が無心になっていません。相手の話が納得できない内容であっても、どんな意見でも受け入れて、一晩経ると、ほとんどのことがなるほどと思えるようになります。
こうして相手の話を受け入れられるようになるためには、喜怒哀楽によって感情が動いてはいけません。腹が立ったとき、それを抑えることができるようになるために、学問をするのです。
話をする時も一緒で、こうした心構えが必要なのです。心を開くことも大変なことですが、その開いた心に相手の話を受け入れることもなかなかできることではありません。他人との会話には必ず心が動くのです。昔の儒学者はそうした際に心が動いてはいけないと言いました。心が動くと感情が作用し、自分の判断が誤ってしまう可能性があるからです。こうして、心の平静を保つために、他人が10回耐えるのであれば、自分は100回耐えろと昔の人は言いました。次号では善悪の判断はあなたが決めるのではないということをお話しましょう。
■筆者プロフィール:海野恵一
1948年生まれ。東京大学経済学部卒業後、アーサー・アンダーセン(現・アクセンチュア)入社。以来30年にわたり、ITシステム導入や海外展開による組織変革の手法について日本企業にコンサルティングを行う。アクセンチュアの代表取締役を経て、2004年、スウィングバイ株式会社を設立し代表取締役に就任。2004年に森田明彦元毎日新聞論説委員長、佐藤元中国大使、宮崎勇元経済企画庁長官と一緒に「天津日中大学院」の理事に就任。この大学院は人材育成を通じて日中の相互理解を深めることを目的に、日中が初めて共同で設立した大学院である。2007年、大連市星海友誼賞受賞。現在はグローバルリーダー育成のために、海野塾を主宰し、英語で、世界の政治、経済、外交、軍事を教えている。海外事業展開支援も行っている。著書はこちら(amazon) facebookはこちら
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