日本僑報社 2017年4月16日(日) 12時30分
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国に対するイメージとは、往々にしてその国の人と接したことから形作られるもの。黒竜江外国語学院で日本語を学ぶ霍曉丹さんは、自身が日本語を学ぶきっかけとなった出会いと、周囲の反応の変化について、作文につづっている。資料写真。
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国に対するイメージとは、往々にしてその国の人と接したことから形作られるもの。黒竜江外国語学院で日本語を学ぶ霍曉丹さんは、自身が日本語を学ぶきっかけとなった出会いと、周囲の反応の変化について、作文に次のようにつづっている。
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「どうして!?お前の希望はどれも日本語。一体何を考えてるのか」。父は私にがんがんと言った。「そうよそうよ。こんなに多くの外国語から選べるのに……」。いつもは優しい母までも私を問い詰めた。
これは2年前、私が大学の入学試験を受けて、専門を選ぶ時のことだ。家族だけでなく、友達にも私に反対する人がいた。私が専攻を「日本語」と決めたからだ。家族をはじめみんなの心配は、その頃日中関係が悪かったので、日本語を勉強しても卒業後の就職が難しいのではないかと考えたからだ。そして中国社会では、反日抗議の活動が広がっていたのだ。それでも、私は日本語を勉強したかった。
本当のことを言うと、高校生の時、日本語を勉強するなんて考えもしなかった。ある日学校で「十大文明の星―わが町の感動人物」という交流に行った。そこで、ある日本人のおじいさんと出会った。このおじいさんは医者で、私の町に30年近くも住み、この間に数多くの中国人を助けてくださった方だった。お話で印象的だった言葉が「私の仕事は病気の人を助けること。ただそれだけです」。毎日、死ぬほど忙しくても、給料が少なくても続けてきたそうだ。「中国の人の日本人に対する気持ちが、いい方に変わってくれたらうれしいよ」と私に言ってほほ笑んだ。両国の戦いの歴史を知っているおじいさんの言葉は深く、感動で心が震え、涙がこぼれた。
この出会いがきっかけで私はいろいろ考えるようになり、以前と違って日本や日本人のことに興味を持つようになったのだ。「大学で勉強するなら日本語」と決めた。自分もおじいさんのように、両国人民の理解が進むように、何かしたくなったのだと思う。そして今、日本語を勉強して2年が経つ。今でも「どうして日本語なんて勉強するの?屈辱の歴史を忘れたの?」と聞いてくる人がいるが、私は一切答えないことにしている。私は毎日日本人の先生の授業を受け、日本人の考え方や態度を見ている。批判することなんて何もないからだ。
最近、うれしいこともある。私の周りの人の日本人に対する考えが変わってきた。それはなぜか?もちろん、私の2年間の成長を認めてくれていること。そして、家に帰って大学の授業のことや日本人先生のことをたくさん話しているからだろう。だんだんと「日本人って、私が考えていた人たちと違うんだね」と言う人が多くなってきた。これは、私の行動や考え方が、日本語を学ぶようになってからかなり変わったという良い影響の表れではありませんか!?
最近、日本語は難しいと感じることが多い。でも面白い!私はもっと頑張って、いずれ日本に行き、多くの日本人と交流することを夢見ている。私の先生は、教科書には書いていない日本人の生活習慣や考え方など、うるさいくらい教えてくれる。だから、日本で生活するようになってもあまり困らないと思う。日本人の大学生や先生、近所のおばあちゃんやスーパーで買い物をするおばさんたちとも仲良くしたい。私の態度で、中国人に対するイメージや考え方を良い方に変えたいと思う。(編集/北田)
※本文は、第十一回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「なんでそうなるの?中国の若者は日本のココが理解できない」(段躍中編、日本僑報社、2015年)より、霍曉丹さん(黒竜江外国語学院)の作品「だから今、チェンジしましょう」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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