むらさわりこ 2017年7月10日(月) 23時40分
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中国人夫と一緒に生活をしていて感じるのは「教師」という職業への日中の捉え方の違いである。資料写真。
中国人夫と一緒に生活をしていて感じるのは「教師」という職業への日中の捉え方の違いである。幼稚園の先生、小学校の先生、中学校の先生とさまざまな「教師」がいるが、さて日中の教師への考え方や教師のあり方はどのように違うのか。
夫の子どものころ、中国には体罰を加える教師は当たり前にいたと言う。現在は昔よりは教師の暴力を悪だとする流れは出て来ているが、依然としてそのような教師が中国国内にいることは明らかだ。しかし夫側の主張はこうだ。
確かに子どものころ体罰を加える厳しい先生は怖くて嫌いだった。しかし感情に任せて所構わず殴る先生はいなかった。何度注意されても聞かなかったり、人を怪我させたりと本当に悪いことをした時の最終手段として先生は手の甲やお尻などを叩いた。中国人にとって頭はとても大事な場所なので、頭を叩くようなことは絶対にしなかった。保護者たちも子どもに体罰を加えた教師を責めたりクレームを入れることは決してせずに、教師と一緒になって子どもを怒った。夫いわく、教師に手を叩かれるくらい悪いことをした時は、両親に怒られる方がよっぽど怖かったらしい。
中国では教師は「親がやるべきしつけを手伝ってくれて、さらに親には教えられない知識を子どもに与えてくれるありがたい人」である。中国で教師は「老師(ラオシー)」と言い「老」の字は尊敬を表す文字だ。ちなみにこの「老」の字は、妻=老婆(ラオポー)、夫=老公(ラオゴン)、と夫婦間の呼び名としても使われている。
どんなに尊敬されていても、私個人としては暴力には反対だ。夫は「先生は子どものためを思って叩いていた。悪いことを大人が本気で子どもに教えないとしつけにならない」と教師の体罰に肯定的だ。私はその考え方は昭和の日本のようで古いと思う。中国の体罰に関しては間違っていると思う。
話を戻そう。なので、夫は日本の保護者と教師の関係が信じられない様子。教師はもはや尊敬などされていない。幼稚園の先生、小学校の先生、中学校の先生全てが保護者の理不尽なクレームにおびえ、子どもが大きくなるといじめ対策に翻弄される。もはや教師は「保護者」というお客様をもてなす超過酷なサービス業なのだ。
私は昔、よく中国人に日本語を教えていたが、私がどんなに年下であろうとみんな私を「先生」として尊敬してくれていた。「先生ありがとうございます」「先生よろしくお願いします」と私にお金を払いながらも「顧客」になることなく、「生徒」の立場で私のことを先生として扱ってくれていた。
中国では自分や自分の子どもに知識を与えてくれる先生は、年下であろうが年上であろうが関係なく絶対的な尊敬の対象なのだ。子どもに関しては立派な大人になるためという大義名分で体罰が容認されることもある。日本と中国の「教師」を比べてみると大きな違いが見えてくるのだ。
■筆者プロフィール:むらさわりこ
1989年日本生まれ。22歳の時に2歳年上の福建省出身の中国人男性と結婚。英語を独学で習得後、英会話講師として働く傍ら中国のテレビなどを通し中国語も独学で習得。趣味は語学と読書。図書館があまりに好きで毎週通っている。結婚前はベトナム、ニュージーランド、モンゴル、カナダ、ラオス、フランスなど様々な国を一人で渡り歩く。自分のやりたい事や面白い事に国境や言葉の壁は関係ないと考えている。
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