南京大虐殺の被害者の娘、日本で母親が経験した苦しみを語る―中国メディア

人民網日本語版    2017年7月18日(火) 15時0分

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日本時間13日午後6時半、熊本の市民会堂で、陸玲さん(76)が、母親の李秀英さんが南京大虐殺の際に経験した苦しみについて語った。

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「皆さんこんにちは。私は陸玲といいます。南京大虐殺の生存者・李秀英の娘です。今日は、母親の生前の願いを果たすためにやって来ました。母親が経験した苦しみについて話したいと思います」。日本時間13日午後6時半、熊本の市民会堂で、陸玲さん(76)が、母親の李秀英さんが南京大虐殺の際に経験した苦しみについて語った。同報告会は熊本県日中友好協会が主催し、南京大虐殺の生存者を母親に持つ陸さんや南京民間抗日戦争博物館の呉先斌館長が招きに応じて出席し、報告を行った。現代快報が伝えた。

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◆減少する一方の生存者 歴史をその後代が語る

同イベント開始前、陸さんは取材に対して、「訪日は今回で3回目。以前は母親に付き添って来ていたが、今回は母親の代わりに語ることになった。1997年に初めて日本に来た。その時は、訴訟に参加する母親に付き添ってきた。その時、母親が、『日本があの歴史を認めるまで、私は話すことができなくなる時まで、ずっと語り続ける。私の子供も語り続ける』と言っていたのを覚えている。2004年に母親が亡くなり、私が母に代わってあの歴史について語るようになった」と話した。

南京大虐殺の被害者の後代である陸さんは、「母親が経験した苦しみや南京大虐殺について世の人に語る責任がある。多くの日本の一般の人は良心的。私が日本に来た時も何度も良心ある人に遭遇している。以前、母親が報告するのについてきた時、ある背の高い日本人の青年が母親の話を聞いて、涙を流しながら母親に向かって土下座し、『今までその歴史について知らなかった。それを知った今、前世代の人が犯した過ちについて、お詫びしなければならない』と言っていた。歴史を記憶にとどめるというのは、憎しみを増すためではなく、平和を願っているから。母親が経験したことを語るのも、平和のため」と語る。

数日前、南京大虐殺の生存者である王学余さんがこの世を去り、登録されている生存者は100人だけになった。呉館長によると、「大虐殺の生存者が減少しており、あの時の記憶の継承は全て生存者の後代頼りになっている。南京大虐殺の生存者の後代のうち、日本に行って報告を行ったのは陸さんが初めて」だ。

◆「谷寿夫が好んで書いた言葉『勇躍破南京城』」

報告の中で、呉館長は、今回の元々の計画には熊本訪問は入っていなかったことに言及し、「昨年8月、私は広島に行って展覧を行うことに決めた。その後、熊本から報告に来てほしいと招待を受け、それに応じた。中国を侵略した旧日本軍の中に『熊本師団』があり、南京大虐殺にも参加した。南京を『人間地獄』にした主力部隊の一つだった。『人間地獄』というのは私が言っているのではなく、以前の東京裁判の判決書の中でそのような描写がある」と語った。

そして、「近年、日本の右翼は、谷寿夫が無罪だったとして、死刑判決を覆そうとしている。実際には、谷寿夫はA級戦犯として南京軍事法廷で裁判を受け、罪悪が大きい。今回の訪問前に、南京の中国第二歴史資料館で判決書をコピーしてきた。そこには、熊本師団が南京で犯した悪行が、143ページにわたって記録されているほか、谷寿夫の1200項目以上の悪行についても記録されている」と紹介した。

さらに、「谷寿夫が一番好んで書いた言葉が『勇躍破南京城』で、中国侵略の時に何度もその言葉を書き記したものの、今でも残っているのは少ない。16年、北京戦史作家で、コレクターの余戈氏は、谷寿夫直筆の掛け軸を無償で南京民間抗日戦争博物館に寄贈した」という。

「余氏の調査では、この掛け軸は谷寿夫が書いた後、当時の華北方面に派遣された軍司令官・寺内寿一に贈ったものであることが分かっており、南京大虐殺を証明する谷寿夫の『自供書』になっている」。7月13日、呉館長はこの掛け軸のコピー版を来場者に披露した。

「一人でも多くの人にあの歴史を知り、それを正視してほしい。歴史をみんなで守ってこそ、平和な日々がある」と呉館長。

熊本県日中友好協会の元会長である熊本大学の名誉教授・重岡和信氏も、「このイベントを通して、一人でも多くの日本の一般人にあの歴史を知ってもらいたい」と語った。(提供/人民網日本語版・編集KN)

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