<コラム>中国のビールの代表格、青島ビールはドイツと日本の技術によりつくられた

工藤 和直    2017年9月17日(日) 15時0分

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青島には二つの酒がある。一つは皆が思い付く青島(チンタオ)ビールである。もう一つは2300年の歴史を誇る即墨(ジーモー)老酒である。写真は筆者提供。

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青島には二つの酒がある。一つは皆が思い付く青島(チンタオ)ビールである。もう一つは2300年の歴史を誇る即墨(ジーモー)老酒である。青島ビールは115年の歴史をもつ中国で最も古いビールのひとつである。主力工場(写真1)は青島駅から北東に約3キロメートル行った台東鎮地区にある(青島市登州路)。即墨老酒は、青島ビールからほぼ北に50キロメートル、春秋の時代から同じ名前を持つ「即墨」の銘酒である。即墨は青島ができるまでは山東省東部で最大の都会であった。即墨故城は春秋時代に古硯鎮大朱毛村一帯にあった南北5キロメートル×東西2.5キロメートルの外城と内城から成る古代都市である(写真2)。その歴史は紀元前567年春秋時代になるので、2600年の歴史が漂う。

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青島麦酒は、1903年に山東省青島で製造が始まった、ビールのブランド。中国で最も古いビールの一つである。青島は1898年よりドイツの租借地となり、租借地経営の一環としての産業振興策としてビール生産の技術移転を行った。1903年ドイツの投資家がこの地でのゲルマンビール青島株式会社を興してビール製造を開始、ドイツのビール醸造技術を採用したのが始まりである。1914年、第一次世界大戦で日本がドイツ権益であった青島の租借権等を引き継ぐことを認められ、その一つであった青島ビールも日本の大日本麦酒が買収し経営を行うこととなった。大日本麦酒は設備を拡大して、この工場で札幌ビールと朝日ビールの製造も行なった。1922年の山東還付条約によって山東半島に関わる日本側の諸権益は中華民国に返還されたが、青島ビールの経営は引き続き大日本麦酒が行った。

1945年の日本の敗戦によって青島ビールの経営権は中国側に完全に接収され、中華民国及び中華人民共和国国営企業による経営が行われた。青島ビールはドイツと日本の技術がブレンドされたものといえる。現在世界5位のシェアであり、燕京ビールとともに中国トップシェア銘柄であるのも不思議でない。青島では、飲食店でビールを注文する時、銘柄でいうのでなく工場のナンバーで注文を出す。第一工廠(一厂)、第二工廠(二厂)、第五工廠(五厂)と言った類だ。工場の違いが味の違い、個人の好み(辛口・甘口・にがみ・きれ・アルコール度)の違いになる。写真3は第一工廠製造のビールである。そして読者の方に言いたい、「青島ビールは、青島市製造品を青島で飲むのが一番うまい」。

老酒とは黄酒(紹興酒もその一つ)を長く寝かせた醸造酒で、長江の南の紹興酒は糯(もち)米に小麦麹を使うのに対し、北の即墨老酒は黍(きび)に米・麦麹を使う。黄酒がアルコール度15〜18度に対し、即墨老酒は11度足らずと実に飲みやすい。色は薄い琥珀色から紹興酒のように醤油色があるが、濃い色にも関わらず非常にまろやかである。黍を焙煎して作るのでやや焦げ臭いのが特徴である。この即墨老酒(写真4)には2300年前の経緯があるのに驚いた。

紀元前284年戦国時代、燕の将軍「楽毅」が、5カ国連合軍を率いて斉を攻めた。斉の首都「臨シ(シ=緇の糸なしにさんずい偏)」をはじめ小城70余城がことごとく陥落する中、キョ(草かんむりに呂)と即墨の2城のみがとともに斉側に残った拠点となった。その後数年に渡る篭城攻防の末、即墨は、将軍「田単」の登場によって落城することなく、また彼の活躍によって斉は国土を再び回復することができた。即墨老酒は将軍「田単」が燕との戦いの前に兵士と飲み、ついには燕軍を破る大勝利となったという縁起物の黄酒である。勝負事がある時或いはお祝いの時に飲む酒となった。

さあ、今宵もドイツと日本の技術による青島ビールでまず乾杯し、戦国時代に起こった2300年前の故事を思い出しながら、10月4日中秋の夜に家族や友と一献どうであろう。

■筆者プロフィール:工藤和直

1953年、宮崎市生まれ。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、日中友好にも貢献してきた。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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