<経済フォーカス>砂漠経済の最前線を行く(1)―内モンゴル自治区・オルドス市

Record China    2008年7月4日(金) 13時19分

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砂漠経済の最前線となっている内モンゴル自治区オルドス市。国家をあげた西部大開発プロジェクトでも一大注目地点として挙げられている。写真は杜市長に取材を行った筆者の徐静波氏。

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モンゴルといえば、古代の英雄チンギスハンを思い浮かべる。チンギスハンの墓はモンゴルではなく、中国の内蒙古自治区のオルドス市にある。これは古代のモンゴルの中心が、現在のモンゴル人民共和国ではなく中国の内蒙古自治区だという歴史的事実を示している。

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北京の首都空港を飛び立ち、1時間40分でオルドス空港に着いた。「オルドス」とはモンゴル語で「宮殿の多い所」という意味だそうだ。1228年、チンギスハンは西夏の国の首都、興慶(現在の寧夏自治区の首府、銀川市)で戦死し、遺体がモンゴルに帰る途中で、オルドス付近に埋葬された(正確な場所は不明)。オルドスに「チンギスハン陵」を建設し忠誠心の堅い兵士に墓守をさせたという。800年が経っても墓守は代々受け継がれ、今でも「チンギスハン陵」を守っている。

空港から市街地までの道には宮殿らしいものは見られなかったが、最新設計のビルが目に入った。接待してくれた市委員会宣伝副部長の高毅氏によると、これがオルドスの新市街地で、世界的に著名な設計士に設計を依頼したビルが多く、中には北京のオリンピック施設、通称「鳥の巣」を設計したヘルツォーク&ムーロン氏設計のビルもあるという。

オルドスといえば大変貧しい地方という印象だった。以前は砂の舞う地で、耕地も砂漠化によってどんどん縮小し、農民が集団で北京に物乞いに来ていた。北京の物乞いたちに出身を聞けば、必ず「オルドス」という答えが返ってきたほどだ。ところが現在、道は広々としており、その広さは北京の長安街以上だ。オルドスはどうしてこんなに変化したのか。その資金はどこから来たのだろう。

市長の杜梓氏は「オルドスが豊かになったのはここ十数年のことです。西部大開発のおかげですよ」という。オルドスは人口わずか150万の都市だ。人口の多い中国では小さな地方都市に過ぎない。しかし2007年のGDPは1150億元(約1兆7250億円)で、2000年の7.6倍、毎年30%ずつ増加している。2007年の全市の財政収入は208億元(約3120億円)で、2000年の13倍になった。経済の発展にともなって生活レベルも大幅に上がり、17%の家庭がマイカーを所有し、中国西部地区で最も豊かな都市となった。「この速度でいけば、5年以内にオルドスのGDPは3000億元を超え、平均年収は3万ドル近くに達するでしょう」と杜市長は嬉しそうに語った。

■筆者プロフィール/徐静波(じょ・せいは)

アジア通信社代表取締役社長。浙江省出身、北京大学卒。中国教育新聞社を経て1992年に東海大学文学研究科に入学、研究員を務めた後、在日中国語日刊紙の副編集長に。2000年3月にアジア通信社を設立。日本語版の中国経済新聞を発刊。

※この記事は中国経済新聞社の特別提供によるものです。

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