<点描・北京五輪>朝倉浩之の眼・この時期なぜ?中国サッカー五輪代表の監督更迭に思う

Record China    2008年7月22日(火) 22時57分

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中国サッカーが末期症状だ…。オリンピックまであと20日あまりと迫ったにもかかわらず、サッカー五輪代表のドゥイコビッチ監督が事実上、解任された。名目上、代表チームとの関係は残るようだが、実質的には更迭と考えていいだろう。写真はドゥイコビッチ氏。

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中国サッカーが末期症状だ…。

オリンピックまであと20日あまりと迫ったにもかかわらず、サッカー五輪代表のドゥイコビッチ監督(セルビア)が事実上、解任された。名目上、代表チームとの関係は残るようだが、実質的には更迭と考えていいだろう。

これだけの大規模大会の前に、監督が解任されるというのは前代未聞の事態。そういえば、女子代表もこの前、外国人監督が更迭され、中国人監督が就任したばかりだ。中国は男女とも、「オリンピックのため」の指揮官を失い、当初の予定になかった体制で、本番を迎えることになる。

「ドゥイコビッチは最初、“神”だと思っていた。だが、今は“人間”だと思っている」サッカー関係者の一人の言葉だ。

すったんもんだの末、選ばれたドゥイコビッチ監督は過去の実績(前回W杯でガーナをベスト16に導く)とそのサッカーに対する見識の深さが高く評価され、鳴り物入りで、中国五輪代表の監督という重大なポジションに座った。その後、国家代表についても「総監督」として実質的には最高指揮官の地位にたち、中国サッカーは、迫りくる五輪、W杯予選を全て、この一人の指揮官の肩に託すという選択をした。

だが、国家代表は結局「結果」を出せなかった。総監督という一歩引いた立場ではあるものの、選手起用、戦術面では完全に「傀儡政権」をコントロールしていたドゥイコビッチだったが、その選手起用法については、結果が出なかったこともあって、多くのサッカーファンから非難を浴びた。

ところで、先日、ドゥイコビッチが遠征先からバスに乗る際、ホテルの会計を忘れていたため、あわててバスを降り、そのため、チームの出発が「8分」遅れる、という“事件”があった、と地方紙が報じた。これによって、チームの不協和音が生まれた…というのだが、いうまでもなく、こういった「些細なこと」が「不協和音」に聞こえてくること自体が、もうすでにドゥイコビッチ政権の末期症状を示していたのだろう。

中国サッカーの「ご意見番」的存在である金志揚氏は、この解任について「やむをえないこと」とした上で、「すでに選手の中にもドゥイコビッチに対する不信感が生まれている。“被害”を最小限に食い止めるには、この時期にやめさせるしかなかった」とサッカー協会の決定を支持するコメントを出している。

私自身は、チーム内部の状況については門外漢であり、あれこれ言う論評をする資格はない。だが、それでも、この時期の監督交代は、オリンピックに、というより、中国サッカーの未来にとって、あまりにも痛手が大きいと思う。

ドゥイコビッチは、確かに戦術面、選手起用などで決して「目に見える」成果を挙げたわけではない。そして現実問題として、「結果」も出ていない。だが、チームに「戦う姿勢」を注入しようと努力したし、少しずつではあるが、チームを変えつつあった。もちろん、このまま五輪に突入すれば、決して理想的な結果は残せなかった…のかもしれない。だが、それらの不協和音を何とか解消して、「最後の20日間」を乗り切る方法はなかったものか。

なぜなら、「一つのスタイル、理念を貫き戦って結果が出なかった」のと「それを貫き通せなかった」のとでは、同じ失敗をしても、全く意味合いが異なると思うからだ。一人の指揮官に国全体のサッカースタイルの改革を託したにもかかわらず、結局、それを大舞台で試すことなく、葬り去ってしまう…中国サッカーは多くの時間を無駄にしてしまった気がしてならない。

ドゥイコビッチは確かに神ではなく、人間だ。選手起用での失敗もあるし、戦術が結果に結びつかないこともある。それでも、「オリンピック」という最大の発表の舞台で、ドゥイコビッチがこれまでに築いてきた「何か」が見られるはず、と多くの人たちが楽しみにしてきたはずだ。その貴重な本番を失ってしまったことの損失は大きい。

魅力的な身体能力を持ち、大きな可能性を秘めているからこそ、私は、同じアジアのスポーツファンとして、中国サッカーに大きな関心を寄せてきたし、期待を持って、見つめてきた。だが、今回の出来事は、登りかかった木の上で、はしごを下ろされた気分だ。

また何より気の毒なのは、中国のサッカーファンである。祖国のサッカースタイルが少しずつ築かれていくのを彼らはここ数年、つぶさに見てきた。大いに辛口で文句を言いながらも、本番で、そのスタイルが花開くことを心のどこかで確信しながら、見守っていた。それが結局、相も変らぬ監督交代劇を見せられ、「またか」という思いの中、やりどころのない「あきらめムード」が漂ってきているのを、今私は肌で感じている。

中国サッカーはW杯予選敗退で終わったわけでも、北京五輪で終わるわけでもない。10年後、20年後に、この「歴史」を糧にして、花開くときがくる「はず」なのだ。だが、それを支えるのは、今のサッカーファンたちの「希望」であるはず。それを根こそぎ奪い、失望を与えた…今回の「中国サッカー」の罪は大きい。

<注:この文章は筆者の承諾を得て個人ブログから転載したものです>

■筆者プロフィール:朝倉浩之

奈良県出身。同志社大学卒業後、民放テレビ局に入社。スポーツをメインにキャスター、ディレクターとしてスポーツ・ニュース・ドキュメンタリー等の制作・取材に関わる。現在は中国にわたり、中国スポーツの取材、執筆を行いつつ、北京の「今」をレポートする中国国際放送などの各種ラジオ番組などにも出演している。

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