Record China 2009年4月1日(水) 20時18分
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30日、北京の「中南海」といえば中国共産党の本部や要人の官邸がある政治の中枢として知られるが、清朝時代までは皇帝の離宮だった。「中南海」はどのようにして政治色を強めていったのか、中国のブロガーが解説した。写真は中南海。
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2009年3月30日、北京の「中南海」といえば中国共産党の本部や要人の官邸がある政治の中枢として知られているが、清朝時代までは単に皇帝の離宮に過ぎなかった。「中南海」はどのようにして政治色を強めていったのか、中国のブロガーが解説した。
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海のない北京でなぜ「中南海」と呼ばれる場所が存在するのか。実はこの中南海の「海」はモンゴル語で「庭園」を指す。中南海とはつまり、「北京の中南部に位置する庭園」という意味。中南海と呼ばれるようになったのはモンゴル人王朝である元の時代(1271年〜1368年)になってからだ。
清の康熙帝(1662〜1722年)の時代になると、中南海は徐々に政治の中枢としての役割を担うようになる。盛大な行事が行われるようになったのも、この頃からだ。その後、清朝が崩壊し、中華民国(1912年〜1949年)になってからも執政機関はここに置かれた。
そして、1949年の新中国成立後は中国共産党の本部や国務院などが置かれ、歴史的な会議が数多く開かれた。「建国の父」と呼ばれる毛沢東、周恩来、劉少奇、朱徳などの歴代要人もここに住み、執務を行った。こうして「中南海」はちょうど日本の「永田町」のように、政治の中枢として世界にその名を知られるようになったのである。(翻訳・編集/NN)
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