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旧暦の2月7日と8日、雲南省保山市騰沖県古永地域でリースー族の人々が集まり刀竿祭が行われる。刀竿祭の始まりは明時代に遡る。当時、この地方の官僚がリースー族を迫害し、人々は貧困にあえいでいた。中央政府から派遣された将軍、王驥さんはリースー族の人権を尊重し、彼らと共に地方官僚と闘い、勝利を収めて迫害から守った。その後、王驥さんは中央政府に戻ったが、リースー族の中で王驥さんは英雄、恩人として崇められてきた。しかし中央政府に戻った王驥さんは権力争いの中、迫害され旧暦の2月8日に没した。彼の死後、リースー族の人々は王驥さんのリースー族への貢献を尊重し、彼を祀る儀式を行った。これが刀竿祭の始まりである。刀竿祭は二日間を掛けて行われ、火を焚いた木炭の中に素足で飛び込む、ナイフが掛けられた梯子を 上るなど、リースー族の勇気を示す儀式が行われる。
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人口
【その他の写真】
人口は63万4912人。
地域
主に雲南省怒江リースー族自治州に集中的に居住し、少数は付近の州・県と四川省塩源、塩辺、木里に分散して居住している。
言語
リースーの言葉を使用し、この言語は漢・チベット語系、チベット・ミャンマー語派、イ語分支に属する。
宗教
リースー族は以前から普遍的に原始宗教を信奉してきたが、20世紀初頭に、欧米の宣教師が入ってきてからは、少数の人たちがキリスト教あるいはカトリックを信奉するようになった。
歴史
リースー族はながい歴史をもつ民族で、その民族名は唐の時代から使われている。8世紀の頃、リースー族の祖先は金沙江の両岸一帯に居住した。16世紀の中葉、略奪、抑圧に反抗し、戦争を避けるため、多くのリースー族の人びとは怒江地域に移住した。リースー族の人たちは高い山の中で暮らし、焼き畑農業や狩猟など原始的な生産活動を主としていた。1950年代になっても氏族社会の残存が顕著な形で残され、虎、熊、猿、蛇、羊、魚、蜂、鼠、鶏、鳥、竹、麻、茶など怒江地域だけでも10種類の氏族の呼称があった。これらの呼称にはそれぞれ崇拝するトーテムが存在している。
文化
1950年以降、特に交通の発展によって、リースー族の人たちは交通の不便な山奥から出て、経済、文化は急速な発展を遂げた。
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