<在日中国人のブログ>日本ではなぜ漢字が廃止されなかったのか?

Record China    2011年2月14日(月) 14時42分

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11日、孔子の第75代直系子孫で日中関係評論家の孔健氏は、「日本語はなぜ漢字を使い、我々とは発音が違うのか」と題した記事を中国のブログサイトに発表した。写真は吉林省で開かれた書道展。

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2011年2月11日、孔子の第75代直系子孫で日中関係評論家の孔健(こう・けん)氏は、日本語と漢字について考察した記事を中国のブログサイトに発表した。以下はその概略。

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日本では漢字廃止論が戦前からたびたび浮上しているが、いずれも国民の支持が得られず、立ち消えになっている。1886年にはカタカナで統一すべきだと説く学者が現れ、その3年後に今度は別の学者がローマ字化を主張。一旦は沈静化したが、1900年に再び漢字の弊害が指摘されると、論争は60年間も続いた。

1923(大正12)年には漢字の数を制限するため、文部省臨時国語調査会が常用漢字を1962字にすると発表。1925(大正14)年には各新聞社も使用漢字を大幅に減らす方針を示した。昭和に入り植民地支配が広がると、漢字が日本語普及の足かせになると指摘され、陸軍と海軍は漢字制限論を強力に支持。だが、結局は民族主義者たちの勝利に終わった。

ところが、1945年に日本が敗戦すると、いよいよ廃止派の黄金期が到来した。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の後ろ盾のもと、「真に民主化した国家体制と言語体系」を確立するための試みが始まったのである。1946(昭和21)年に制定された当用漢字は1850字、1949年にはその中から義務教育で指導すべき教育漢字が選定されたが、その数はわずか881字だった。

だが、1960年代になると、やはり漢字の廃止は無理だという論調に変わり、教育漢字は1968年には備考漢字として115文字が追加され(正式採択は1977年)、1989年には1006字にまで増えた。1981年には漢字を全廃するまで当面使用するとされていた当用漢字が廃止となり、常用漢字として1945字が制定された。

結局、日本語は中国の舶来文化や知識の影響を深く受けており、そのうちの1つである漢字から離れてしまえば、何も出来なくなってしまうということが認識されたわけだ。中国文化の影響は日本文化の細部にまで奥深く浸透しているため、漢字だけを取り除こうと思っても不可能というものだろう。

日本は907年に中国で唐王朝が滅びると、もはや中国から学ぶものは何もない、とでもいうように遣唐使の派遣を止めた。さらに明治時代に入ると、「脱亜入欧」をスローガンに掲げる。日本人は西洋の言語、特に英語を積極的に学び始めたが、例えば「RICE(米)」は「RAISU」など、すべてがカタカナ英語になってしまった。日本語の中のカタカナ英語はすでに数百を超えているが、これらがネイティブに通じないのは言うまでもない。(翻訳・編集/NN)

●孔健(こう・けん)

孔子の直系第75代目の子孫で、孔子研究家、日中関係評論家。山東大学日本語学科を卒業、1985年に来日。96年、チャイニーズドラゴン新聞を創刊。NPO法人日中経済貿易促進協会理事長などさまざまな日中関連の機関で代表を務める。「日本人は永遠に中国人を理解できない」「日本との戦争は避けられない」など著書多数。

※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。

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