<中国人が見た日本>日本のドラマが教える「大国の国民」の精神

Record China    2011年2月25日(金) 12時32分

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23日、中国誌「週末画報」の編集者、孫驍驥氏が「日本民族の個性とメロドラマ」と題した記事を中国のブログサイトに掲載した。写真は日露戦争の激戦地、旅順の東鶏冠山北堡塁。

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2011年2月23日、中国誌「週末画報」の編集者、孫驍驥(スン・シャオジー)氏が「日本民族の個性とメロドラマ」と題した記事を中国のブログサイト・鳳凰博報に掲載した。以下はその内容。

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その民族の個性を知るためにはどこを見れば良いか?それは、庶民が1 日の仕事を終えて帰宅した後に見る、いわゆるゴールデンタイムのメロドラマだ。例えば、筆者も疲れた身体をドカッとソファに投げ出し、気分転換しようとテレビをつけることがある。だが、ここで疲れは一気に倍増だ。画面に映し出されるのは「三国志」や「西遊記」といった類の人形劇か、主婦が好きそうな「惚れたはれた」系の恋愛ドラマばかりだからである。

さらに、インターネットでは官製メディアが「2010年の国産テレビの総まとめ:民族精神と想像力の相乗効果」を特集していた。そこにはこう書かれている。「2010年は影響力のある『紅色経典』(共産主義の模範的な)のドラマが数多く放送された。それは時を超え、革命のためなら命をも投げ出す覚悟を持つ当時の共産党員たちを現代の若者たちの目の前に蘇らせた―」。筆者は一瞬、わが中国外交部の馬朝旭(マー・チャオシュー)報道官の発言かと目を疑った。

ところが、驚いたことに対岸の隣人―1日中「馬鹿野郎」と叫ぶ野郎の方々も集団で自分たちの国の「革命テレビドラマ」を観ていることが分かった。ドラマの題名は「坂の上の雲」。近代国家へと歩み始めた明治時代を舞台にした話で、NHK「スペシャルドラマ」として2009年から断続的に放送されている。最初は軟弱な主人公が切磋琢磨して力をつけ頭角を表し、やがてかなわないと思っていた強敵を倒す。いかにも日本人が好きそうなドラマだ。

要するに日露戦争の話なのだが、興味深いのはこのドラマが「その国が近代国家の仲間入りを果たしたかどうか、最も重要な基準になるのは人々が『国民』意識を持っているかどうかだ」と訴えている点だ。では、「国民」とはなにか?このドラマの解釈によると、「国のために命を投げ捨てる覚悟がある人」を指す。

中国人が火鍋を食べながら連続ドラマ「毛岸英」(毛沢東の長男、朝鮮戦争で戦死)を観ている時、対岸の日本人は笑っている。何がそんなに可笑しいのか?100年前は「外国の技術を学び、外国を制する」と崇高な理念を掲げていた民族が、100年後には「父親が権力者でないこと」を嘆くようになっていることだ。これは人類の文明史上、最大の冗談としか言いようがない。父親に権力がないことを嘆くような国に「国民」意識は育たないだろう。

「前をのみ見つめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂をのぼってゆくであろう」―。これは「坂の上の雲」の冒頭文だ。これは明治時代の日本人の精神を表わしているだけでなく、大国の国民はどんな精神を持つべきかを我々に教えている。

たとえ小さな島国でも国民全体が強い向上心を持っていれば、どんなに苦しい山道でも一歩一歩、登り続けていける。だが、反対に国土が大きいことにあぐらをかき、少しも向上しようと思わない民族はいつまでも谷底に沈んだままだということだ。(翻訳・編集/NN)

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