四川省の「ハンセン村」で支援活動を続ける台湾の元女性記者―中国紙

Record China    2011年3月1日(火) 16時49分

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28日、中国の「ハンセン村」で学校建設などの支援活動を行っている台湾紙の元女性記者が今、中国のネット上で大きな反響を呼んでいる。写真は四川省の「最後のハンセン村」。

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2011年2月28日、中国の「ハンセン村」で学校建設などの支援活動を行っている台湾紙の元女性記者が今、中国のネット上で大きな反響を呼んでいる。京華時報が伝えた。

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この女性は台湾紙・中国時報の元記者、張平宜(ジャン・ピンイー)さん。現在は2003年に立ち上げた「中華希望之翼服務協会」(中華希望の翼サービス協会)の代表を務める。11年前、四川省涼山イ族自治州越西県にハンセン病患者の子どもが通える私塾を開設。2005年に正規の学校として認められてから、これまでに100人余りの卒業生を輩出した。

張さんが取材のために四川や雲南などの6つのハンセン村を訪れたのは1999年のこと。外部から完全に隔離され、電気も水道もない生活に衝撃を受けた。手足がひどく変形した人、這って動くことしかできない人、鼻がない人、傷口が腐敗している人―。村中におびただしい数のハエが飛び交っている。

特に心が痛んだのはここで暮らす子どもたちだ。患者本人には身分証があり、補助金も支給されていたが、子どもたちには戸籍すらない。まともな服も着せてもらえず、大半は裸足。風呂にも入っていないため、全身垢だらけだ。学校にも通えないまま、まるで家畜のように“放牧”されている。

2人の子の母でもある張さんは、子どもたちを絶望の淵から救おうと決意した。それから11年。張さんの活動を中国青年報が23日付で報じたことから、広く知られるようになる。「当時、都市部の子どもたちはマクドナルドを食べていました。でも、ハンセン村の子どもたちは車がどんな形をしているかも知らない。せっかく生まれてきたんだから、何か少しでも希望が持てることをしてあげたいと強く思いました」と張さん。

ハンセン病は遺伝病ではない。張さんは「親の病気が子どもたちの運命を決めてはいけない。この子たちを救う唯一の方法は教育です。村を出て一般社会で生きていけるようにきちんと教育を受けさせなければ」と語る。だが、これまでの道のりは決して平たんではなかった。「役人の(ハンセン病に対する)偏見がひどかった。何か下心があるのではないか、としか思ってもらえなかったんです」という。

だが、何度も何度も交渉し、10年かけて電気や水道を整備した。学校の先生も手配してもらった。「9年間の義務教育が、子どもたちのその後の30年を尊厳ある人生にしてくれます」と張さんは強調する。先生1人、生徒70人から始まった私塾は、今は先生12人、生徒300人の正規の小学校になった。児童は近隣の5つのハンセン村から通ってくるが、一般の村の子どもも10%を占める。

次なる夢は「中学校を作ること」だと話す張さん。実は2年前に校舎は完成済みだが、先生が来ない。「(新学期が始まる)9月になっても来なかったら、まだ1年無駄になってしまいます」と張さんは今、頭を抱えている。(翻訳・編集/NN)

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