Record China 2011年3月17日(木) 8時55分
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11日、地震が襲ったのは午後2時46分!授業の真っ最中だった。東京・池袋に近い日本語学校では、中国からの就学生の男女20人が日本語を学んでいた。写真は震災翌日の鉄道駅。
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2011年3月11日、地震が襲ったのは午後2時46分!授業の真っ最中だった。東京第2のターミナル駅・池袋に近い日本語学校では、中国からの就学生の男女20人が日本語を学んでいた。
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「先生、先生、地震…地震です。揺れています」―サンシャインビルに隣接する5階建てのビル3階にある教室が振り子のように大きく横揺れしたその瞬間、中国人の就学生がいっせいに声を上げた。日本語の授業をしていた日本語講師のわたしも、心底驚いた。経験したことがない揺れだ。「このまま生徒たちと一緒に死ぬのか」。多くの日本人留学生が亡くなったニュージーランド・クライストチャーチの悲劇(2月22日)が瞬間、頭をよぎった。
が、次の瞬間、わたしは逃げ口確保のためドアを開け放ち、生徒たちに机の下で身を伏せるよう大声で叫んだ。生徒たちはとても従順だった。他のクラスには慌てて廊下に飛び出す学生もいたが、生徒は全員指示に従ってくれた。
揺れが小康を得たのを見計らって、階段を使いビルから退避。隣の公園に避難した。しかし、そこで待っていたのは、余震で大揺れに揺れる高層ビル群と外気の寒さだった。小さな公園に身を寄せたわれわれは、「高層ビルが倒れこんでくるのでは」と恐れた。学生も「あのビルは大丈夫か、あのビルは危ない」と恐怖した。生徒たちは口々に四川省での経験を語ってくれた(編集部注:四川省では08年5月に大地震が発生した)。
最悪の時も、午後5時前にはほぼおさまった。この間、約2時間。日本人は地震に遭っても冷静といわれるが、中国の若者もまた冷静だった。四川大地震から学んで成熟した中国人がそこに居た。日本の地震にも興味を持っていた。
帰宅もまた、問題だった。電車が止まって帰れない。学校に戻る以外にない。他国の学生たちもそれは同じ。生徒たちは皆と一緒に地震の惨状を伝えるテレビを食い入るように見詰めた。先生は質問攻めにあった。
夜は床に敷いた段ボールの上に疲れた体を横たえた。秩序を持って行動し、異国で一生懸命に勉強する中国人就学生がいることを知ってもらいたい―そう思ってこのリポートを書いた。(日本語講師・中村隆二)
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