大震災にも動じない人々、東京は「死の街」ではなかった―SP華字紙

Record China    2011年3月22日(火) 17時18分

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21日、東日本大震災から4日後に東京を訪れたシンガポール華字紙の記者が、放射能漏れ事故にもパニックを起こすことなく平静を保っている東京の人たちの様子をレポートした。写真は16日の東京。

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2011年3月21日、東日本大震災から4日後に東京を訪れたシンガポール華字紙・聯合早報の記者が、放射能漏れ事故にもパニックを起こすことなく平静を保っている東京の人たちの様子をレポートした。以下はその内容。

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東京人は春先にマスクをする習慣がある。15日に東京で開かれた国際学術フォーラムに出席した記者も、目に見えない放射能を吸い込まないためずっとマスクをしていた。東京人がマスクをするのは花粉症のせいだと出迎えてくれた仲間は言っていたが、街ゆく人の誰が花粉症で、誰が放射能を吸い込まないためなのか、見分けはつかなかった。

現地在住の留学生らは外国メディアが東京を「死の街」などと報じていることに違和感を覚えていた。恐らく放射能汚染に対する自分たちの恐怖をそのまま東京に置き換えて報じたのだろう。実際に東京に来てみると、報道とは全く違うことが良く分かる。しかも、東京人は放射能汚染より停電を恐れているようだ。

東京人は政府の呼び掛けを良く守り、節電を心掛けていた。その甲斐あって、計画停電も最初の2日間はほとんど実行されていなかった。東京の街はテレビ番組から地下鉄、電車内のモニターに至るまで、停電や復旧などに関する情報が詳細に伝えられていた。余震や津波、放射線量の数値に関するニュースも逐一流れていた。こうしたことが、東京人が放射能漏れにも過剰に反応しなかった大きな原因だろう。

ドラッグストアに立ち寄り、ヨウ素剤ではなく花粉症関連の薬が整然と並べられている様子を見て、ここが東京であることを痛感した。東京都民が落ち着いていつもと変わらぬ生活を送る中、米国や中国、台湾などではヨウ素剤や食塩の買い占めといった騒動が起きていたのだから、全く情けない。

19日、東京を離れる前に東京湾に寄ってみたら散歩や日光浴をしている人たちを見かけた。彼らはみなマスクをつけていなかった。その後、日本の金融会社に勤めているというインド人と空港で出会ったが、彼は「東京は大丈夫。仕事も普段通りだ」とリラックスした表情で語っていた。(翻訳・編集/NN)

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