<コラム>南宋滅亡の背景、日本の銅銭大量輸入が関係していた?

工藤 和直    2018年1月23日(火) 19時10分

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貨幣とは、商品交換の際の媒介物で、価値尺度・流通手段・価値貯蔵の3機能を持つ。商品の価値尺度・交換手段として社会に流通しているもの、またそれ自体が価値あり、富として蓄蔵が図られるものである。写真は筆者提供。

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貨幣とは、商品交換の際の媒介物で、価値尺度・流通手段・価値貯蔵の3機能を持つ。商品の価値尺度・交換手段として社会に流通しているもの、またそれ自体に価値があり、富として蓄蔵が図られるものである。現在、貨、財、買、貸、購、貴といった漢字に貝が含まれるのは、ベトナム南海産の子安貝が使われたからだ。この貝貨は3000年前の殷時代〜春秋時代末(紀元前5世紀)まで使用された。

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春秋時代後期になると青銅器の大量生産が可能となり、需要の高い農具(銅鋤<すき>)や武器(銅剣・銅刀)などの青銅器が、それ自体の使用価値(実用性+呪術性+保存性)を担保に、物々交換の基準・物の価値を計る尺度として使われるようになった。やがて、持ち運びに便利なように小型軽量化した「布貨:鋤の形状」や「刀貨」となり、さらなる利便性を求めて、環銭(円孔円銭・方孔円銭)を生み出した。古く中国では、天は円形で示され、大地は方形とされる。この方孔円銭は、いわば「天円地方」を表現したものである。

一国の興亡は、外敵との軍事力を背景とした武力によるものであるが、それを支えるのが一国の経済であり、その経済の根底に「貨幣」という媒体がある。春秋時代ばかりか現代でも言えることで、悪貨をどんどん発行するとインフレが起こる。現在日本でも同じで、2%インフレに向け日銀はじゃぶじゃぶと紙幣を発行増刷しているが、現在はグローバルであるがため、日本国の一政策だけでは限界がある。貨幣価値が安定なら、その国は必ず富国となり、貨幣価値が乱れると、その国は必ず貧弱になる。中国歴代王朝末期に見られるのは、往々にして発生する悪性インフレ(粗悪貨幣発行や紙幣の増刷)が民衆を苦しめ、農民革命などによって王朝が滅んでいく姿である。

宋代(西暦960〜1279年)は長期間に渡り貨幣経済がうまくいった王朝である。その銅貨発行枚数は史上一番であり、アジア全域に渡り貨幣経済を行き渡らせた。日本の貨幣経済も同じく、江戸時代までは宋・明銭を中心とする渡来銭によって成り立っていた。南宋(西暦1127〜1279年)は、最終的にはモンゴル族の「元」によって滅ぼされる。その背景に、日本が大量の宋銭を輸入したことで経済が破たん(インフレ)したとも言われる。銅銭は12世紀の日本にとって一番の輸入品で、その規模は仁治2年(西暦1241年)に、「西園寺公経の派遣せし船が一度に十万貫を輸入した」とあるように、その量は南宋発行の1年分に相当した。これにより南宋は貨幣不足となり、時の王朝は紙幣の発行を行ったが、市中での悪銭不法鋳造とも重なり、市場経済は超インフレとなった。これにより南宋王朝は滅んだ。

当の日本は南宋の混乱を知らず、流通用に使うだけでなく鎌倉の大仏鋳造にも渡来銭を原料として用いた。日本は火山国であるが故、硫化物の多い銅から純銅を得る技術が完成するのは室町時代末期で、摂津多田庄山下村の銅吹屋新左衛門が独自開発した山下吹によるが、銀の抽出は不可能であった。それを可能にしたのは西暦1594年の「住友家」の蘇我理右衛門(住友政友の義兄)が開発した『南蛮吹き』である。これによって大量に海外に流出していた銀を自国内で精製することが可能になった。この時の革新的技術により「住友家」は明治維新後の近代日本の底辺を支える財閥へと変革するのである。

春秋戦国時代を終わらせ、紀元前221年中国統一を成し遂げたのが秦の始皇帝である。その強大な軍事力もあるが、環銭(円銭)主体の貨幣経済を発展させたからとも言われる。秦の統一によって方孔円銭「半両」貨幣が中国経済の主体となった。半両の1枚あたりの価値は現在の価格ではどれ程であったのか、当時の資料では穀物(主に米)1石が30銭(半両30枚)に相当、一石は30キログラムであることから米1キログラムが半両一枚に相当する。従って400〜500円/枚になると思われる。その後、唐時代の方孔円銭「開元通宝」(これが日本の和銅開称の原型)、そして最後は清代の方孔円銭「宣統通宝」となる(写真1)。

日本で初めて作られた貨幣は、和銅開称とか富本銭とか言われる(その後、神功開宝などの皇朝12銭につながる)。奈良に来る地方の農民は、朝廷から賃金として銭を渡されるが、地方にはまだまだ普及されておらず、米と交換しようにも交換レートもないので、銭を持ちながら餓死するという有様であったという。和銅開称発行時には貨幣経済がまだ発展してなかったのだ。朝廷が決めたレートは、米3升が和銅開称1枚に相当するとした。現在の価格で言えば、1升は1.5キログラムに相当するから、和銅開称1枚は米4.5キログラム、金額にして2000円程度であった。

和銅開称の読み方は時計回りに読む。開元通宝は上下が先と読み順が異なる。開元通宝と読むのでなく、“開通元宝”と時計回りに呼ぶのが正しいと言える。この通貨は唐代武徳4年(西暦621年)から約300年鋳造された。開元と年号が名付けられるのは西暦712年からであるから、最初の90年間は“開通元宝”と呼んだと考える(写真2)。

日本の5円玉は円孔円銭の名残で、中国銀行のマークも方孔円銭を引き継ぐ。方孔円銭は紀元前221年頃に始まり、清朝の最後西暦1909年の宣統通宝に終わるが、2130年間の長きに渡り同一形状が使用され、アジア圏全体の貨幣経済に与えた影響は多大であった。写真の貨幣は、筆者収集品である。

■筆者プロフィール:工藤和直

1953年、宮崎市生まれ。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、日中友好にも貢献してきた。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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