<在日中国人のブログ>“礼を尽くしても尽くしすぎることはない”は日本では通用しない?

Record China    2011年4月7日(木) 14時22分

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6日、孔子の第75代直系子孫で日中関係評論家の孔健氏は、「“礼を尽くしても尽くしすぎることはない”は日本では通用しない、なぜ?」と題した記事を中国のブログサイトに発表し、日本の礼儀について考察した。資料写真。

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2011年4月6日、孔子の第75代直系子孫で日中関係評論家の孔健(こう・けん)氏は、「“礼を尽くしても尽くしすぎることはない”は日本では通用しない、なぜ?」と題した記事を中国のブログサイトに発表し、日本の礼儀について考察した。以下はその概略。

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私は日本での20数年の生活の間に、贈り物を何度返却されたか分からない。日本人はなぜ贈り物を受け取りたがらないのだろう?中国では“礼多人不怪(礼を尽くしても尽くしすぎることはない、責められることはないという意味)”と考えられているが、日本人は正反対である。彼らは理由のない贈り物を受け取らず、たとえ受け取ったとしても不安になり、何とかしてお返しをしようとする。日本人が中国人のように簡単に賄賂を受け取らないのも、原因はこういったところにあるのだろう。

日本にも贈り物をする習慣はある。お盆や年末に “お世話になった”方々に贈る「お中元」「お歳暮」などである。多くの場合、こうした贈り物は友好的な人間関係を維持する重要な手段となっている。

日本は礼儀の国である。従って、礼儀作法は人々の必修科目となっている。例えば、日本ではお辞儀の仕方にもその深度によって3種類あり、それぞれが「尊敬」「礼儀」「挨拶」の意味を持ち、日本社会での人間関係の等級の秩序を反映している。

しかし、ここで言う等級は、西洋的な身分制度・階級制度とは異なり、垂直型社会の構造を有している。しかも、これは固定された等級ではない。日本の世論調査によると、日本人の90%は自分が“中産階級”に属していると意識しているという結果が出ており、実際、日本は他の先進国に比較して貧富の差が少ない。例えば、米国のように富豪だけが住む超高級住宅街が形成されているようなことはなく、高級住宅も木造家屋も、個人商店もオフィスビルも同じ地区内に混在している。集合住宅では異なる職業、収入層の住人が、争うこともなくまるで一つの村の住民のように生活している。

ただし、こうした中でも礼儀は重要な意味を持ち、社会生活の中で必要不可欠な部分となっている。今日の日本では、伝統的な礼儀作法はますます簡略化される傾向にあるが、外国人にとっては、特に社交的な場面などでは、依然として礼儀にこだわっているように思える。しかも、こうした礼儀が道徳観念や社会的な評価と関係している。

結局のところ、礼儀は日本社会のあらゆる面に浸透しており、人々の思想や行動を拘束しているのだろう。(翻訳・編集/HA)

●孔健(こう・けん)

孔子の直系第75代目の子孫で、孔子研究家、日中関係評論家。山東大学日本語学科を卒業、1985年に来日。96年、チャイニーズドラゴン新聞を創刊。NPO法人日中経済貿易促進協会理事長などさまざまな日中関連の機関で代表を務める。「日本人は永遠に中国人を理解できない」「日本との戦争は避けられない」など著書多数。

※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。

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