「日本橋」架橋100年記念、船着き場がオープン=スカイツリーなど結ぶ舟運復活で外国人客誘致―東京

Record China    2011年8月2日(火) 11時4分

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日本の道路基点でもある天下の名橋「日本橋」が現在の石造りの橋に架け替えられてから今年で100年。これを記念して日本橋脇に船着場がオープンし、外国人はじめ多くの観光客の川からの来訪が期待されている。写真は新設の船着き場など日本橋界隈。

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「お江戸日本橋」の歌や広重の浮世絵で親しまれている東京・日本橋。日本の道路基点でもある天下の名橋が現在の石造りの橋に架け替えられてから今年で100年。これを記念して日本橋脇に船着場がオープンし、外国人はじめ多くの観光客の川からの来訪が期待されている。

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この船着き場は、歌舞伎俳優の市川團十郎と坂田藤十郎の名にちなみ「双十郎河岸」と命名。7月31日にこの2人が出席して、記念碑除幕式が行われた。團十郎は「先祖の初代は1660年に生まれ、この日本橋とも縁が深い。12代の私がお招きいただき大変うれしい」とあいさつした。

日本橋はかつて魚河岸(市場)があり、水の都の拠点として舟運が盛んだった。地元町内会や商店会、企業に勤めている人々で構成する「名橋『日本橋』保存会」の中村胤夫会長(三越特別顧問・前社長)は「江戸・東京の中心地だった賑わいを取り戻すきっかけにしたい」と期待。隅田川を経由してスカイツリーを見学して帰ってくるコースや東京湾まで出るルートを計画している。

「将来は羽田空港とも結び、全国各地や海外から来た観光客を日本橋まで運ぶことができたらいい」と中村会長。保存会の悲願は、「日本橋上の高速道路を地下に潜らせ、青空を取り戻すこと」。既に2001年に首都高速道路の改築・更新の将来計画が政府で検討されており、同会は「水辺空間や都市景観に考慮した街づくり」の一環として、高速地下化運動を推進している。

中村会長は「日本橋の存在は限りなく大きく、日本人の心のふるさとと言える。東海道はじめ5街道の基点であり、旅立った人も必ず戻ってくる。関東大震災や戦災にもかかわらず立派に残ったこの橋は匠が石を一つひとつ積み上げて作った芸術品。100年もの間、本当にありがとうと言いたい」と語る。

さらに、「人が集まり賑わえば街が活性化される。幸い日本橋地区では再開発が進み、昼間・夜間人口が増えてきた。街を明るくし毎日がお祭りのようになれば人が集まる。橋はもともと人々が行き交い賑わう場所。日本はもちろん外国の方々にも銀座、秋葉原だけでなく日本橋にもっと足を運んでもらえるようにしたい」と今後の構想を披露している。(取材・編集/SK)

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