<コラム>韓国の寺の鐘に胸が打たれる、日本や中国の鐘に比べ強く深い

木口 政樹    2018年1月22日(月) 19時50分

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年末年始の12月30日、31日、1月1日と2泊3日、梁山(ヤンサン)というところにある「通度寺」に行ってきた。写真は韓国のお寺。

年末年始の12月30日、31日、1月1日と2泊3日、梁山(ヤンサン)というところにある「通度寺」に行ってきた。

一行は年に数回いっしょに山に登る友人2人との合計3人。2人はもちろん韓国人である。1人は筆者と同年生まれ(以下タメ朴)、1人は5歳ほど年上の人である。兄弟ではないけれどもともにパクさんだ。やはり韓国はキム・イ・パクが多い。

山に登って自生する自然のトラジ(桔梗)や山ニンジン(サンサム)をとったりする男たちだ。ガタイはかなり頑丈といっていいだろう。結婚して約30年、大晦日と元日の日に家ではなく外で過ごしたことがなかったゆえ、妻の許可が得られないかと心配したけれど、行き先がお寺とあってすんなりと許可が下りた。天気予報ではこの期間中はかなり冷え込むとのこと。「かぜ、気をつけてね」という見送りのことばを背に洗面道具などを入れた小さなリュックをひっさげて颯爽(さっそう)と外に出た。

すぐ前の道にSM5が止まっている。われわれを運んでくれる乗用車だ。運転は同い年のタメ朴さん。運転暦35年のベテランである。

通度寺は、「トンドーサ」という音になる。646年(新羅・善徳女王15年)の創建ゆえ、1370年以上も経っている由緒あるお寺であり、韓国の3大寺の1つである。ちなみに他の2つは、陜川の海印寺(ヘインサ)と順天の松広寺(ソングァンサ)。海印寺にはユネスコ世界文化遺産にもなっている有名な「八万大蔵経」(パルマン デヂャンギョン)がある。

韓国のお寺はほとんど例外なく山の中か、背景に山を抱いたような風光明媚なところに建てられている。いわゆる名堂(ミョンダン)といわれる地点である。名堂とは、イヤシロチと理解していいだろう。気の流れの抜群にいいところである。日本はやりのことばで言えばパワースポットとなるだろうか。

わたしの日本人の友人の1人は、毎年韓国のお寺巡りをすることを趣味としている。韓国を少しでも知る日本人には、韓国のお寺は魅力ある場(ターゲット)である。今回の通度寺もその例に漏れず、そこにいるだけでなんとなく力が湧いてくるような感覚があった。

通度寺の名前の由来は、全ての真理に通じ、一切衆生を済度するという意味で通度(トンド)と名づけたという。三国遺事(サムグク ユサ)という韓国の2大歴史書の1つに記録された創建の由来によると、釈迦の真身舎利を安置し、僧侶になろうと望む多くの人たちを得度させたという。

12月30日の夜、テンプルステイでわれわれはこの寺に宿泊した。タメ朴さんの妹がここ通度寺の信徒なので、彼女がテンプルステイの予約をやってくれたようだ。通度寺の境内の駐車場に車を止め、リュックをかついで歩き出す。どこに宿泊施設があるのかもわからずにとりあえず歩き出したら、なんと偶然にもタメ朴さんの妹とばったりと出会った。

妹のほうも同年輩の女性との2人連れであった。やはり何かの見えない糸が味方してくれているようだ。寺のいちばん奥にある説法殿(ソルポプジョン)という建物の1階が宿泊施設であった。近づくと、韓国語をはじめ日本語や英語や中国語などいろいろの言葉が聞こえてきた。日本人をはじめ外国人らがたくさん来ていたのである。韓国のテンプルステイは外国人からも人気があるが、この通度寺はまたさらに人気のスポットなのだ。

宿泊ルームに荷物をおいてしばし腰を下ろすと夕食時間の5時。3人そろってぼちぼち食堂のほうへ歩いていくと、すでに長蛇の列だ。零下10度くらいの中で列を作って待つ。最近は韓国も割り込みする人がいなくなった。ここはお寺だからさらにお行儀はいい。

雑談しているうちにわれわれの順番が来た。ステンのボール2つとスプーン1つをとり、それにご飯とおかず3点ほどと味噌汁を盛っていく。最後にコチュジャンをすくい取って、空いているテーブルを探す。行動の早いタメ朴さんが先に場所を確保していた。あとの2人も合流し、ご飯のボールにおかず3点をどばっと入れてコチュジャンを添えてまぶす。ビビンパだ。

次の日の朝もおかずの色合いが1つほど変わったけれど、やはりビビンパだった。通度寺の食事は3度3度おそらくこのビビンパなのだろう。肉類は1つもない。純粋に精進料理だ。

夕食が済むと、ほとんどすぐに説法殿での勤行があった。年末年始とあって、かなり広い説法殿は人人人の山だった。前のほうでお坊さんらがリードしながら般若心経などいくつもの経典を唱えていくわけだが、居合わせた人々はほとんどが皆な空で言えるのだった。われわれ3人は口ぱく。2時間ほどの勤行が済むと自由時間だった。境内のあちこちを散策しようという考えもあったけれど、かなりの寒さだ。散策は明日ということにして歯を磨いて早めに就寝。9時ごろになっていた。

翌日は31日で大晦日。午前3時の起床。寝ている2人をそのままにして筆者1人説法殿での勤行に赴く。勤行の合間合間に鐘の音が聞こえたが、そのまま念仏を唱えていた。2人はそのうちに目を覚ましたのだろう。説法殿ではなく梵鐘楼(ボムジョンル)という大鐘のある建物のほうに行って鐘の音を聞いていたそうだ。この鐘の音がまたすごくて、10メートルほど離れて立っていても、鐘が鳴るたびに胸板がジジーンと振動するくらい鐘の響きがすごかったという。

お寺で朝ごはんをいただき、次の予定の地・統営(トンヨン)へと車を駆る。釜山のとなりの港町で、文禄慶長の役で加藤清正・小西行長率いる豊臣の軍勢を負かしたイ・スンシン将軍で有名なところだ。レプリカの亀船(コブクソン)が浮いている。ここは刺身もおいしいしケーブルカーで登った景色も絶景なので、ここで食べて寝て、翌日自宅のほうへ戻ろうということになっていたのだけれど、筆者だけ通度寺のあの大鐘の響きを知らずに帰るにはあまりにも片腹痛しなので、もう一度通度寺へ行って、午前3時のあの鐘を聞こうということになった。

何度聞いてもいいものだからね、とあとの2人も共鳴。統営では刺身といっしょにマッコリと焼酎で新年を祝ったこともあって、急遽大衆浴場に入り、酒気を落としてから夜の9時ごろ通度寺に向かった。

入場門が閉まっていて車では入れない。入場門のすぐ前の広場に車を止めて近くのチムチルバン(サウナ+浴場+睡眠部屋付き)に泊まる。チムチルバンは韓国独特のもので、1000円ほどで1晩泊まってサウナに風呂になんでもできる。天国のような施設だ。サウナをしたり風呂につかったり寝たりしながら、年越しの数時間をチムチルバンで世話になった。

午前2時半。リュックをかついでサウナを出る。通度寺の入場門はまだ閉まっていて、車たちが門の前に30メートルくらい列をつくって並んでいる。開門を待っているのである。われわれは、前の広場に車を止めたままだ。当然ながら歩きとなる。零下10度以下の寒気の中を砂利道の音を聞きながらゆっくりと歩く。空にはスーパームーンのごときお月様が煌々と輝いている。道の両側には樹齢100年、200年、500年もの松の大木が通度寺の境内にいたるまで続いている。

お寺というと、日本だったらお葬式をする場所なので、なんとなく夜の夜中に歩くなんてちょっと気味悪い感じがしないでもないだろう。ところで韓国のお寺は、葬式はしない。葬式は、葬儀場というところでやる。これは病院に付属でついていたり、町々のはずれのほうにちょこんと佇んでいたりする。

元日の午前2時半の松並木の逍遥もまた、忘れえない記憶となった。月明かりに舐められながら、ことば少なに通度寺に向かう。樹間をわたる一陣の風が、砂埃りをたてた。月明かりのせいで砂の舞うのがわかった。風の音と砂利道を踏むざっざっという音以外、何の音もない。むらさき色の空気が静謐の中できゅんと張りつめている。「聖なる情景」。そんなことばがふとわが脳裏にこだました。

まっすぐ梵鐘楼の前、すなわち大鐘の前10メートルあたりに陣取り鐘打ち(タジョン)式を待つ。人の背丈以上もある大鐘だ。われわれがいちばん早く大鐘の前に陣取った。数分後から三々五々、人々がやってきて大鐘の前は人だかりとなった。お坊さんがやってきた。梵鐘楼の柵の錠を開け中に入る。直径60センチもあろうかと思われる大鐘をつく撞木(しゅもく)を、5回、6回とゆすり、7回目か8回目くらいに「ボーン」と鐘を打つのだ。全身全霊で打っているのがわかる。

ボーンと鳴った瞬間、その振動が青い空気を振動させながらこちらに押し寄せ、わが胸板を揺り動かす。なんとも気持ちのいいバイブレーションだ。細胞1つ1つが蘇えるようなエナジーを感じた。その振動は宇宙のかなたまで木霊してゆくようだった。何度聞いてもいいものだと言った2人の気持ちがよく理解できた。この鐘の音を聞けただけでも、今回の旅行は意味あるものとなった。

韓国は、お寺にあるいろいろの鐘でもちょっと有名だ。通度寺のこの大鐘に名前があるかどうかわからないけれど、一番有名なのは慶州(キョンジュ)のエミレの鐘即ち「エミレジョン」。人の背丈の2.5倍ほどはある大鐘だ。エミレジョンは現在は鐘の劣化を避ける意味で、実際につくことはない。昔ついたときの音が録音で聞けるだけだ。

録音の音だけれど、中国の鐘、日本の鐘、エミレジョンと3つ聞いたときの感想としては、エミレジョンの音が、一番深く強く宇宙へと通じる音のように筆者には感じられたものだ。韓国のお寺巡り、是非お勧めしたい。とくに鐘の音に接することができれば最高だと思う。

■筆者プロフィール:木口政樹

イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。三星(サムスン)人力開発院日本語科教授を経て白石大学校教授(2002年〜現在)。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。

■筆者プロフィール:木口 政樹

イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県・米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。元三星(サムスン)人力開発院日本語科教授、元白石大学校教授。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。著書に『おしょうしな韓国』、『アンニョンお隣さん』など。まぐまぐ大賞2016でコラム部門4位に選ばれた。

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