Record China 2011年12月14日(水) 8時16分
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4日、「中国の『礼儀を重んじる国』はなぜ名ばかりとなってしまったのか?」と題した記事が中国のブログサイトに掲載された。写真は9月、浙江省杭州で開催された孔子生誕2562周年の記念イベント。
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2011年12月4日、「中国の『礼儀を重んじる国』はなぜ名ばかりとなってしまったのか?」と題した記事が中国のブログサイト・鳳凰博報に掲載された。以下はその内容。
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中国は儒教の祖・孔子が説いた「礼儀」を重んじる国だと昔から言われてきた。だが、その「礼儀」は文化大革命で徹底的に破壊されたというのが定説だ。これはもちろん一理あるとは思う。しかし、良く考えてみると今と昔では「礼儀」の定義が異なる。
今日言われている「礼儀」とは対等な立場で相手の人格を尊重することを前提としたもの。ところが、孔子が説いた「礼儀」とは実は祭祀や婚礼の時に用いられたもので、身分などの上下関係をはっきりさせた上で立場をわきまえることが正しいとされていた。
こう考えると、中国古来の「礼儀」は現代社会にそぐわなくなっており、廃れてしまうのも自然な流れだろう。だが、その穴を埋めるために、中国も日本のように真剣に外来文化を学んでいれば良かった。近代的な「礼儀」を吸収していれば、「礼儀」を重んじる国としての名声を失わずに済んだのだ。
ところが、中国は外来の商業文明を学ぶ際、日本のように謙虚かつ徹底的に学ばず、上っ面な知識しか得ようとしなかった。しかも、古くからの農業文明の価値観は意地でも変えない。そのため、廃れてしまった「礼儀」の空白を埋めることができなかった。「礼儀を重んじる国」が「礼儀知らずの国」になってしまったのである。
日本と韓国では中国の儒教の「礼儀」と道徳が脈々と受け継がれていると言う人が多いが、それは大きな誤解だ。もうとっくに中国の儒教とは関係がなくなっている。彼らはすっかり西洋式の「礼儀」が身に付いており、他人に対してもとてもスマート。政治経済から日常生活に至るまで自由・平等の概念がしみ込んでいる。
こうした概念を持っているのといないのとでは、表面に現れるものも違ってきて当然だろう。これが無数の中国人を長年戸惑わせている難題だ。だが、実はこれは社会全体の価値観が商業文明なのか農業文明なのかの違いに過ぎないのである。(翻訳・編集/NN)
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