如月隼人 2018年2月27日(火) 20時40分
拡大
在日モンゴル人が26日、小学館本社ビル前で、同社月刊誌の漫画でチンギス・ハンを侮辱する漫画が掲載されたことに対する抗議デモを行った。写真は筆者提供。
在日モンゴル人が26日午後、出版大手の小学館本社ビル(東京都千代田区)前で、同社月刊誌「コロコロコミック」3月号がチンギス・ハンを侮辱する漫画を掲載したとして抗議デモを行った。小学館は同問題についてすでに謝罪しているが、在日モンゴル人側は納得できない内容と主張している。本稿では、デモ取材の結果を踏まえて、「モンゴル人がなぜ、これほどの怒りを示すのか」ということを考えてみたい。
なお、本稿はモンゴル国国民と中国領内モンゴル自治区のモンゴル民族、さらにそれ以外の地域のモンゴル民族の人々をすべて含めてモンゴル人と称する。その理由については、読み進んでいただければご理解いただけると思う。
▼朝青龍やモンゴル大使も抗議、小学館は“謝罪”したのだが…
問題の発端は、2月15日発売の「コロコロコミック」3月号に掲載された漫画で、チンギス・ハンの肖像の額に男性性器が描かれたコマがあり、それ以外にもチンギス・ハンの肖像をギャグのネタにしたことなどだった。モンゴル国出身で大相撲・元横綱の朝青龍氏はツイッターを通じて22日、同件について「許せない!!謝れ!!」などと抗議。駐日モンゴル大使も23日にフェイスブックで抗議文を発表した。
小学館は23日、「モンゴル国国民の皆様をはじめチンギス・ハーンを敬愛する全ての方々にご不快の念を抱かせましたことを、深くお詫び申しあげます(原文ママ)」などとして、同社公式サイトで謝罪文を発表。モンゴル国のダンバダルジャー・バッチジャルガル駐日臨時代理大使にも同趣旨の謝罪文を直接渡したとした。
▼「出版社として認識不足、誠意にも欠ける」と納得せず
同件に対して、日本で会社を経営するモンゴル人のガンドシさんらが、在日モンゴル人抗議委員会を結成した。同委は抗議文などで、チンギス・ハンを「モンゴル国および内モンゴルなどモンゴル地域において、モンゴル民族の精神的支柱であり、もっとも大切な信仰」と指摘。だからこそ、「侮辱」は絶対に許せないとした。
日本人の多くにも、「チンギス・ハンは世界史に残る英雄だった」との認識はあるだろう。しかしそれは「過去の歴史的人物」としての評価だ。しかしモンゴル人にとってチンギス・ハンは現在も、そしてまず間違いなく将来にわたっても崇拝・敬愛・信仰の対象だ。モンゴル人はチンギス・ハンを「ボグド・チンギス(聖なるチンギス)」とも言う。彼らの怒りは「民族にとって聖なる存在、信仰の対象が侮辱された。看過することは絶対にできない」というものだ。
在日モンゴル人抗議委員会は、小学館の謝罪は不十分であり、「コロコロコミックス」3月号の回収に応じていないことは「あなたに渡したのは毒だった。でもそのまま飲んでください」と言うに等しい不誠実な対応として批判している。
▼「聖なるチンギス」を否定せざるをえなかった時代もあった
日本人としてもうひとつ知っておきたいことは、近現代に至り、チンギス・ハンに対するモンゴル人の信仰が強く否定・抑圧された歴史があったということだ。
モンゴル国はかつて、ソ連の忠実な衛星国だった。社会主義時代の国名はモンゴル人民共和国だ。同国はソ連(ロシア)の歴史観を採用せざるをえなかった。つまり、モンゴル民族の拡大は侵略行為であり、チンギス・ハンは歴史上の大悪人だったという“自虐史観”だ(実際には、モンゴルの支配があったからこそロシアという国が成立したとする説が強まっている)。中国領内でも1980年代までは、モンゴル人がチンギス・ハンを称賛することが難しい状況があった。
しかしモンゴル国の場合には、旧ソ連の崩壊に伴う民主化と同時に90年代には民族の精神的支柱としてのチンギス・ハンが一気に復活した。中国でも、チンギス・ハンはほぼ同じ時期に徐々に「復権」していった。
中国国内では例えば、内モンゴル自治区南部のオルドス地方にチンギス・ハン廟がある。モンゴル人以外の中国人(漢族)にとって観光名所になっている点はやや気になるが、モンゴル人は日々、チンギス・ハンに敬虔(けいけん)な祈りをささげている。
モンゴル人にとってはチンギス・ハンに対する自らの感情を否定された時代があっただけに、「チンギス・ハンを大切にせねばならない」という気持ちがなおさら強まるのも、十分に理解できるところだ。
26日のデモでは、シュプレヒコールで「チンギス・ハン」名を唱える際、主催者側から特に指示があったわけでもないのに、多くのモンゴル人参加者が、右の拳を自分の左胸の心臓の上に重ねた。モンゴル人のチンギス・ハンに対する熱い思いが伝わってきた。
▼日本人には理解しづらい状況、1民族が複数の国で生活する
日本人の一般的感覚では「日本人の血を引き、日本で生まれた人が日本人。日本以外に住む日本人は例外的存在」かもしれない。ただし、世界にはそうでない状況も実は多い。例えばドイツ人だ。ドイツだけでなくオーストリア人も、スイス人の多くも「ドイツ民族」だ。
モンゴル人もモンゴル国、内モンゴル自治区など中国領内、さらにロシア連邦ブリヤート共和国の国民も本来ならばブリヤート・モンゴルと呼ばれるべき、モンゴル人の一派だ。
そしてチンギス・ハンはすべての地域のモンゴル人にとって民族の精神的支柱であり崇拝・信仰の対象だ。在日モンゴル人抗議委員は、小学館が謝罪の対象を「モンゴル国国民の皆様をはじめチンギス・ハーンを敬愛する全ての方々」としたことにも反発した。謝罪の対象は「すべてのモンゴル民族」と明記せねばならないとの主張だ。
ちなみに、モンゴル国の人口は約300万人。中国国内に居住するモンゴル人の人口は数え方によっても異なるが約600万人で、中国国内のモンゴル人の方が多い。全世界におけるモンゴル民族人口は1000万〜1500万人とされている。
▼中国ではチンギス・ハンの肖像を侮辱して有罪判決が言い渡された例も
もうひとつ理解しておくべきことは、チンギス・ハンは歴史上の事実として「モンゴル民族の創始者」と位置づけられることだ。チンギス・ハンが生まれたのは1162年(異説あり)だ。当時のモンゴル高原では諸部族が分裂していた。
それを大統一したのがチンギス・ハンだった。その結果、「モンゴル人」というアイデンティティーが成立して現在に至っている。世界史上最大の帝国を築いた栄光の時期もあった。苦しい時代も経験してきた。それでも、モンゴル人は自らがモンゴル人であるということに誇りを持っている。モンゴル人にとってチンギス・ハンは「自らの存在を成り立たせてくれた隔絶した大恩人」という存在でもある。
中国国内では2017年5月、寧夏回族自治区銀川市内のモンゴル料理店にあったチンギス・ハンの肖像が踏みにじられるなどで侮辱される動画が広まる事件が発生した。容疑者は逮捕され、裁判で民族仇恨扇動・民族蔑視罪で懲役1年の実刑判決を言い渡された。
中国当局もモンゴル人の感情に対して一定の配慮をしていることを示す事例と理解してよいだろう。インターネットでは上記事件についいて、漢族と思われる中国人弁護士が、「モンゴル族のチンギス・ハンに対する感情は、漢族の孔子に対する感情と同じ」として、モンゴル人の怒りに理解を示した。
26日のデモ参加者からは「チンギス・ハンの肖像を侮辱することは、中国でも許されなかった。日本で許されるとしたら、全く理解できない」との批判が聞かれた。
▼日本を敬愛しているだけに高まった失望と怒り
ところでモンゴル人は日本に対してどのような感情を持っているのか。もちろん個人差もあり、過去の個別の出来事に対しても評価はさまざまだ。ただし、総体的に言って彼らは日本人に強い親近感を持っている。「日本が大好きだ」というモンゴル人は実に多い。また、日本を「文明国」として尊敬もしている。
モンゴル人が親日的なことにはいくつか理由がある。まず、文化的背景がある。最も特徴的なのは言語だ。日本語とモンゴル語は語順などがそっくりなのだ。英語など欧州語や中国語では「I read a book」「我看書」のように、主語の直後に動詞が置かれる。しかしモンゴル語では「ビー(私は)ノム(本)オンシナ(読む)」と日本語と同じだ。その他の細かい文法も極めて似ている。
さらに、出産直後の赤ん坊の尻には青いあざ、つまり「蒙古斑」が出現する。蒙古斑は漢族などの赤ん坊にも出現するが、モンゴル人の多くは蒙古斑が特に強く出るのはモンゴル人と日本人と考えているようだ。
日本人とモンゴル人の共通性はまだ多くあるが、とにかくモンゴル人の多くは日本の文化と伝統、そして日本社会に親近感を感じている。「民族として真の兄弟」との声も聞こえてくるほどだ。それだけに、モンゴル人にとって今回の出来事はショックだったようだ。
モンゴル人は「ジンギスカン」という日本の料理名も嫌悪する。食べ物の名に聖なる存在であるチンギス・ハンの名を用いるのは極めて不適切との考え方だ。デモ参加者の1人は「ここは日本なのだからと我慢してきた。しかし今回の件は許せない」と語った。
▼日本に対する親近感には変化なし、出版社がきちんと対応すれば「終わる」と説明
興味深かったのは、26日のデモに参加したモンゴル人から、日本人全般に対する批判は一切聞かれなかったことだ。逆に「日本社会と対立することは全く望んでいない」「日本がこれまで自分らにしてくれたことには感謝している」「小学館が納得する対応をしてくれることを望んでいる。問題を大きくしたいとは思わない」などの声が次々に帰ってきた。
また、チンギス・ハンを不適切に扱った漫画についても「人間なのだからミスもあるだろう」との考えを示した上で、謝罪や掲載紙回収などきちんと対応してくれれば、この件は終わりだ。小学館を恨み続けることはしたくない」との意見も聞かれた。全体的に言えば、在日モンゴル人として抗議活動をせざるをえないこと自体を残念に思う雰囲気を濃厚に感じた。
私はかつて、日本人のモンゴル学研究者が、「チンギス・ハンはモンゴル人にとって、日本の天皇にも似た存在」と説明するのを聞いたことがある。26日のデモでは、「日本の象徴である存在に同様の侮辱が加えられた場合、日本人はどう思うのか」との問いかけや指摘が何回か披露された。ただし、「天皇」という言葉は使わなかった。
ガンドシさんは、「あのような場で、日本の象徴について具体的な言い方をしたら、日本人は不快に感じると思う。だから配慮した」と説明した。このことでも、抗議したモンゴル人が日本人および日本社会を尊重する気持ちを持っていることは明らかだと感じさせられる。
▼「これからの動きは相手の対応次第、現在は抗議活動の世界的拡大を抑えている」と説明
在日モンゴル人抗議委員会は26日のデモに際して抗議文を用意していた。小学館に対しては9項目の対応を要求した。主要な要求は謝罪広告、コロコロコミック3月号の回収などだ。また、著者の吉野あすみ氏にも公開で謝罪することも求めた。
さらに3月2日までに納得できる回答を得られない場合には、訴訟などの手段も辞さないとの考えを明らかにした。
在日モンゴル人抗議委員会によると、同問題はモンゴル国や米国のモンゴル人団体など世界各地のモンゴル人コミュニティーにも伝わった。すでに抗議運動開始の打診があったが、現在は「日本で対処する考えなので待ってほしい」として抑えているという。ただし、納得のいく回答が得られなかった場合には、抗議活動が世界的に拡散する見込みとした。
現在、経済や文化などのさまざまな分野で、日本とモンゴル国、内モンゴルとの交流を促進する団体や企業が数多く存在する。そして在日モンゴル人は自らを日本とモンゴル国、あるいはモンゴル民族の懸け橋と考え、日本社会に溶け込むことを心掛けている。デモ参加者からは「今回の件では、知り合いの日本人から『日本人として恥ずかしい』『申し訳ありません』と多くの声を寄せられた。何の関係もない日本人が謝罪をして、小学館が誠実な対応をしないのは許せない」との意見も出された。
■筆者プロフィール:如月隼人
日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。
1958年生まれ、東京出身。東京大学教養学部基礎科学科卒。日本では数学とその他の科学分野を勉強し、その後は北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。中国については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結局は得」が信条。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。 Facebookはこちら ※フォローの際はメッセージ付きでお願いいたします。 ブログはこちら
この記事のコメントを見る
Record China
2018/2/26
2018/2/24
2017/12/17
2017/11/14
2017/12/4
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問い合わせ
Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら
業務提携
Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら
この記事のコメントを見る