Record China 2018年3月27日(火) 13時10分
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武漢大学のキャンパスには見事な桜並木があり、毎年春は多くの人が花見に訪れるが、この桜並木には知られざる歴史秘話があるという。
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2018年3月26日、中国網によると、湖北省武漢市にある武漢大学のキャンパスには歴史的な建造物と見事な桜並木があり、毎年春には多くの人が見物に訪れるが、ここには知られざる歴史秘話があるという。
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ここ最近、メッセンジャーサービス・微信(ウィーチャット)のユーザーグループで、武漢大学の建物がどのように戦火を免れたか、桜並木がどのように植えられたのかに関する記事が話題を呼んでいる。
1938年4月、戦火が激しくなり、武漢大学は四川省楽山市へ疎開することになったが、当時の学長らは若手教員の湯商皓(タン・シャンハオ)さんと、その妻で日本人の鈴木光子さんに大学の保護を頼んだという。
10月に武漢市は日本軍に占領され、大学も軍に接収。夫妻は様変わりした市内に設けられた検問をいくつもくぐり抜け、軍の指揮官に談判。大学を荒廃させないように説得した。その後、戦闘部隊は郊外へ移動され、大学は司令部の後方基地となり、教室には兵士に向けて日本語の注意書きも掲示されるようになったという。
2人に応対した軍の指揮官は大学の保護を約束するとともに、「キャンパスを箱根のような風光明媚な文化地区にしたい」と話し、日本から桜の木を運び入れ、植えることが決まったそうだ。桜は日本の国花だが、中国の国花は梅。そこで湯さんは桜とともに、中国人に人気の梅も一緒に植えてはどうかと提案したが、これは実現には至らなかったという。
その後も夫妻は武漢市にとどまりキャンパスの保護と見回りを続けたが、45年の終戦で湯さんは台湾へ。妻の光子さんは日僑となり、やがて日本へ引き揚げたが、夫とは生き別れのまま1年もたたず34歳で亡くなってしまったという。(翻訳・編集/岡田)
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