人間国宝・中村雀右衛門さん死去、養父は梅蘭芳に化粧の指導も―中国紙

Record China    2012年3月6日(火) 11時17分

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5日、中国文化報は歌舞伎の女形で人間国宝の中村雀右衛門さんが2月23日に肺炎で亡くなったことを報じ、養父の中島笑太郎と京劇役者の梅蘭芳との交流を紹介した。写真は梅蘭芳記念館。

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2012年3月5日、中国文化報は歌舞伎の女形で人間国宝の中村雀右衛門さんが2月23日に肺炎で亡くなったことを報じ、養父の中島笑太郎と京劇役者の梅蘭芳との交流を紹介した。

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中村雀右衛門(本名・青木清治)は1920年、歌舞伎役者・大谷友右衛門の次男として生まれた。父の大谷友右衛門が1943年の鳥取大地震で死去し、三代目中村雀右衛門(本名・中島笑太郎)の養子となった。

養父の中島笑太郎は京劇俳優の梅蘭芳(メイ・ランファン)と親交があったことが知られている。1919年、25歳で初来日した梅蘭芳は東京の明治座で中島の「鶏娘」を鑑賞し、楽屋で中島と対面した。

梅蘭芳の回想によると、中島笑太郎は両頬のほっそりとした梅蘭芳がふくよかに見えるよう綿を口に含むことを教え、輪郭に合わせた眉毛、隈取りの書き方などを指導したという。梅蘭芳はこれに対し「苦心して磨き上げた経験を初対面の外国人に惜しげもなく語ってくれた。当時、中島さんのように熱心に人を助ける方は珍しかった」と語っている。後に中島笑太郎は梅蘭芳を模して、浅草の吾妻座で日本語の京劇「天女散花」を上演している。

中村雀右衛門は軍隊生活を経て映画俳優として「佐々木小次郎」などのヒット作にも恵まれたが、35歳で歌舞伎界に復帰、歌舞伎界を代表する女形として、80歳を過ぎてからも時姫、雪姫、八重垣姫などの姫役を演じた。91年に人間国宝、01年に文化功労者、04年には文化勲章を受賞した。享年は91歳だった。(翻訳・編集/岡本悠馬)

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