「キャプテン翼」は日本サッカー発展の方向性を示しただけでなく、欧州のスターたちをも虜にした―中国メディア

Record China    2018年7月22日(日) 17時40分

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21日、宝安日報は「キャプテン翼」が日本サッカー台頭の縮図だとする文章を掲載した。以下はその概要。資料写真。

2018年7月21日、宝安日報は「キャプテン翼」が日本サッカー台頭の縮図だとする文章を掲載した。以下はその概要。

ワールドカップの決勝トーナメント1回戦で日本はベルギーに惜敗した。素晴らしかった試合とともに注目に値したのが、日本サポーターが観客席で掲げていた「キャプテン翼」の横断幕だった。描かれていたのは「ワールドユース編」で、大空翼率いるユース日本代表がメキシコ、ウルグアイ、イタリア、スウェーデンオランダに勝ち、最後にはブラジルを倒して優勝を勝ち取るのだ。今回、もしベルギーが最後の最後に逆転しなければ、「キャプテン翼」内の夢がまた一歩現実に近づくところだった。

「キャプテン翼」は1981年にマンガの連載がスタートして以降、37年にわたり日本の青少年のサッカー愛を支えてきた。当初日本のサッカー界は低迷期にあり、野球人気に完全に圧倒されていた。しかし本作品の連載が始まるとサッカーをする少年が急増、79年には7万人足らずだった12歳以下の選手が、88年には24万人にまで増えたという。

連載は88年にいったん終了するが、1993年に日本代表が「ドーハの悲劇」を経験すると、今度は「ワールドユース編」の連載がスタート。個人の能力ではなく、技術や戦術面にスポットが当てられるようになった。「キャプテン翼」は、日本サッカーが発展する方向性にも影響を与えすらしたのだ。

バルサを離れたイニエスタが中国のクラブに来るとのうわさがあったが、結局ヴィッセル神戸にやって来た。それは仕方ない、彼は「キャプテン翼」の忠実なファンなのだから。イタリアではトッティが日向小次郎のシュートを練習していたし、デルピエロは岬太郎の、ガットゥーゾは石崎了のファンだ。2002年日韓W杯では、インザーギが単行本をイタリアに持ち帰ったという。そしてフランス人選手にも多大な影響を与えていて、トレゼゲやアンリもみな「キャプテン翼」のファンなのである。(翻訳・編集/川尻

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