人民網日本語版 2018年11月22日(木) 21時20分
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特定非営利活動法人日中友好市民倶楽部が主催する第18回日中友好中国大学生日本語科卒業論文コンクールの審査会は、天津外国語大学で行われ、入賞者が発表された。
特定非営利活動法人日中友好市民倶楽部が主催する第18回日中友好中国大学生日本語科卒業論文コンクールの審査会は、天津外国語大学で行われ、入賞者が発表された。(入賞者リストはこちら)
卒業論文コンクールの審査委員所感は、下記の通り。なお、所感の掲載は、原稿の到着順となる。
1. 文化・社会部門審査委員の所感
プロイセンの鉄血宰相Otto von Bismarckは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」と言ったと巷間に流布しておりますが、最近の研究では、「自分の手痛い失敗より、他人の失敗に学べ!」と述べたそうです。
謂わば成功体験よりは、手痛い失敗から学ぶことが多いものの、自己の失敗では、回復不可能な打撃を蒙る場合があるので、時と空間を異にしても、人間の営みである限り、普遍性が認められるとすれば、歴史から学ぶことは、限られた貧弱な経験に彩りを与え、賢者や英雄の心境を追体験することにもなるので、大きな果実を齎します。
一方斯様に常識と称されるものが、不確かで間違いの多いものなので、学問の出発点は、「物事を疑うことから始まり、検証を経て真理に至る過程」かと存じます。
そして、初学者の学徒には、果敢な試みに挑戦する勇気と若さがありますので、既成概念に囚われずに、しなやかな視点により、独自の切り口と大胆な包丁捌きで、新たな境地を切り拓くことを、お勧め致します。
かくて、常識と言われるものの単なる羅列は、説得力を欠く凡庸な駄文に過ぎません。
また、フランスの哲学者デカルトは、「方法序説」の中で「Je pense,donc je suis.」「我思う、故に我在り」と論じており、考えることが、人間の本源であると述べております。
これらを踏まえて、当コンクールの審査方針は、学生諸君が、自己の履修したことを良く咀嚼した上で、問題意識に目覚め、悪戦苦闘して「問題処理能力を高めた軌跡」を、自己の言葉で文章化したものが、優れた学士論文であると、考えております。
なお、応募論文を俯瞰すると、歴史や時事問題の勉強不足と指導の不適切な箇所が散見され、日本国概況のテキストは、最新の学説を引用して批判に耐えられる物を、早急に編集する必要があります。
ところで、受動的になり勝ちな外国語学習に於いて、卒業論文作成は、学生が主体的に取り組むことが出来る唯一の機会でもあるので、単なる卒業要件と捉えず、問題解決能力を高め、自己の可能性を検証して、大きく羽搏く能動的な取り組みへと昇華して欲しいものです。
そして、このコンクールの目的は、受賞者と受賞校を顕彰する為ではなく、日本語教育の現状と課題を把握して、その打開を図ることにあるので、教員と学生諸君の真摯な声に耳を傾けて、次なる飛躍を目指したいと存じます。
(特定非営利活動法人日中友好市民倶楽部理事長 小野寺健)
2. 文学部門審査委員の所感
この度「第18回日中友好中国大学生日本語科卒業論文コンクール論文審査会」が天津外国語大学で行われ、ゲスト審査員として参加させていただき、しかも専門家の先生方と一緒に審査できて、大変光栄に存じています。天津は初めてなので、主催者側及び開催者側の皆様の暖かいおもてなしに対して、心から感謝の意を申し上げたいと思います。
文学部門の応募論文は総計13本で、どれも各大学の最優秀な論文として応募したので、全体的には規範性の高い論文が多かったと思います。そして、論文内容から見ると、古典文学に関するのが1本しかないことから、日本語科の大学生は古典文学より近現代文学にもっと興味を持つ傾向が覗けるのではないかと考えられます。
この度、厳しい審査を通し、一等賞と認められたのは「新聞小説としての『三四郎』」です。本論文は先行研究をよく把握した上で、『三四郎』がそもそも新聞小説であるという事実に焦点を絞って、小説の中に仕掛けられた新聞小説の要素を分析し、読解することを試みました。これまでの先行研究にあまり言及されていない角度から論述したのは本論文の創造性があるところだと思われます。それに、綿密な論証、関連する内容をちゃんと纏めて付録として巻末に付加されているこどなど、本論文の規範性が高いことはよく示されています。
文学についての論文は作家、作品論で行われるのが普通ですが、今度二等賞と三等賞を受賞した論文は物語論という文学理論を活かし、空間や語り手の他者意識といった角度から作品テキストの解読を試みて、それなりの結論を得たのは印象的でした。物足りないところはないわけではないですが、単純にテキストを解読するより、ある文学理論を利用し、自然にテキストの解読と結び、自分なりの結論を出すのはもっと説得性があるのではないかと思います。
以上、審査所感として述べさせていただきました。どうもありがとうございます。
(湖南大学 曹莉)
3. 文学部門審査委員の所感
「継続は力なり」、十八年続いてきた中国大学生日本語科卒業論文コンクールはまさに大きな力と化し、中国の日本語教育現場に多きな影響を与え、教育改善を促した。その結果として、コンクールに推薦された論文は年々質が高くなり、中国の日本語教育レベルの全体的な向上が反映されていると思われる。十八年間、本コンクールに心血を注がれた小野寺先生に深く感謝する。
今年、文学部門の推薦論文数は十三本で、その全体的な特徴として、バランスの取れたことが挙げられると思う。
先ずは、数年前までの文学離れの時期と比べ、論文本数が着実に増え、他の部門とも全体的にバランスが取れた状態が安定的に続いていることが挙げられる。
次は、文学部門内においても、近現代文学に関する論文と古典文学に関する論文ともバランスが取れた状態である。数年前までは、古典文学に関する論文が圧倒的多くて、一時は三分の二以上占める割合となっていた。指導教官の研究分野に左右される場合が多いと思われる。今年、全国日本語教員優秀論文賞の応募論文は、依然として古典文学の研究に集中しているが、学部生には、古典よりもやはり近現代研究に関する論文を書くのがより自然で、より相応しいと思う。
また、論文の研究対象も夏目漱石や樋口一葉などの著名作家の作品から漫画やアニメまで、実に豊富多彩で、バランスが取れた題材である。地域的にも、沖縄問題から北海道のアイヌ族まで、実にテーマが多様性を呈した論文である。
文学部門の一等賞受賞論文「新聞小説としての『三四郎』」は、夏目漱石の代表作の一つとして、多くの先行研究があるにもかかわらず、挿絵の機能、時事的な性格、連載として毎回読者の期待の喚起など、独自の視点で論を展開し、独創性、論理性合性、日本語表現のいずれも優れており、高く評価に値する。学部生の論文はややすると、新しい理論や研究方法に目掛けて、独りよがりの理論先行に陥りかねないに対し、もう一方は、または内容にしても文体にしても感想文のようなもので、事実や自分の思いを述べるのみに止まり、論文らしい論文にはなれないものも多く見られる。それに対し、この論文は研究分析にメディア論の視点を導入し、新しい視点よりチャレンジする一方、「朝日新聞」のデータベースにおける『三四郎』の縮刷版を利用し、小説の挿絵や当時リアルタイムで『三四郎』に綴られた社会的な事件を地道に精査し、作品解読に努めた。資料の精査に基づく論拠と理論的な解析に基づく論点がバランスよく論の展開に機能し、完成度の高い論文となったわけである。
今後、本コンクールにおいて、また、多くの中国大学の日本語科において、このような優れた卒業論文が拝読できることを楽しみにしている。
(北京第二外国語大学 邱鳴)
4. 言語部門審査委員の所感
「日中友好中国大学生日本語卒業論文コンクール」は、あっという間に十八回を迎えました。正直に言って、こんなに続くとは最初とても思いませんでした。「白駒隙を過ぐ」の如く、この小さな事業が図らずも、幾多の春秋を経て、今日まで辿り着いたこと、感無量としか言えません。その功労者の名に輝いた当コンクールの発起人である小野寺先生に深く深く敬意を表したいと思います。継続の力に再び頭を下げ、この十八年間の継続により築かれた礎は、しっかりと中国の日本語教育史上に残され、後人に銘記されればと思います。
次は、言語組の審査員または一読者としての感想を述べます。
1、 入賞作品はいずれもそこから感動的な躍動が読み取られ、自ずと読者を感動させる力を持つ優秀な作品でした。論文作成もすべての学問と同じく、まず書くものつまり作者自身がその書こうとするテーマに深く感動していなければならないと思います。そのテーマとじっと睨み合い、何度も何度も心の交流がなければ、決していい論文はできないだろうと思うのです。佐久間象山・渡辺崋山など多くの俊秀を輩出した江戸後期の儒学者である佐藤一斎が曰く、「学を為すには、人の之れを強うるを俟たず。必ずや心に感興する所有って之を為す」、言い換えれば、自分が感動して、そしてその作成作業に全身全霊を投じて初めて、他人(読者)を感動させることのできる論文が生まれるだろうと言いたいです。
2、 卒業論文の指導教官ですが、「指導」をどう理解するかという問題があります。学生の心を感化して、やる気を起こさせることは最大の指導ではないかと思います。「教化」という言葉がありますが、卒業論文作成に関していえば、言葉の順序は逆かもしれません。つまり、「化して教す」でしょう。なぜかと言えば、「教」はいわゆる「知識を教える」ことで、「化」は「心を感動させる」ことでしょう。そのため、指導する教師本人が当該学問または当該論文のテーマにまず学生と共感を持っていなければ、いい指導もできないだろうと言えるでしょう。今回のすべての入賞論文から、そのような素晴らしい指導の影が見えていますから、非常に尊敬しています。
3、 今年は十八回目のコンクールですが、言語組に関して言えば、量質とも一段と進歩しています。今までよりはテーマの範囲がさらに広がり、論文構成から細部の論理整合性まで、いわゆる論文らしさも目に見えて増してきました。勿論、テーマに関する問題も依然として指摘すべきでしょう。一言テーマの問題と言っても、実は様々な問題があります。例えば、着眼点のいいテーマなのに、果たして自分の学力でカバーできるかどうかも、テーマの問題であり、一方、テーマが大きすぎて、内容が貧弱で、まるで雲を掴むような言葉で綴られた論文の存在も問題であります。
以上は今年の審査に当たって感じた三点です。取り留めのない思いの断片ですが、当コンクールの今後のますますの発展を期待しながら、本年度の所感として記し、筆を擱きます。
(南開大学 王健宜)
5. 文化・社会部門審査委員の所感
この卒業論文コンクールが開催されている目的が、「受賞者と受賞校を顕彰する為ではなく、日本語教育の現状と課題を把握して、その打開を図ること」であるので、具体的にどの論文についてのコメントは他の審査員に譲り、若輩者ではあるが、この論文大会を通じて把握した現状とその打開について感じた所を述べさせて頂く。文化社会の論文は、昨年と比べて、論文数が17本から9本へと大きく減少した。また、全体的に見て、数量だけでなく、その独創性・論理規範性も昨年に比べてやや低下したのではないかというのが率直な感想である。他人の成果の引用も、されていない、どこからどこまでが他人の引用・要約で、自分の意見や見解かが分からない等、引用規範が守られていなかったり、先行研究について述べられていなかったりと、内容以前に論文としての規範性が不充分な論文が多かった。内容も、日中比較をするのに、比較調査する対象についての記載が無いものや、論述が恣意的なものなども見受けられた。採点基準は独創性5点、論理性・規範性3点、日本語力2点ということであり、独創性で点が低かったのは、多くの論文に共通していたが、学部の卒業論文では仕方がないことといえる。ただ、論文は全て各大学の最優秀論文であるにも関わらず、日本語力や論理性・規範性には比較的大きなばらつきが見られた。卒業論文の規範性については、学生は初めて学術論文を書くのであるから、指導教員の指導や卒業論文の指導システムに改善の余地があるのではないかと思われる。
学生が学術規範を具えた卒業論文を書くに至れないことを、全て学生の資質・努力や教員の指導・資質に求めるのには無理がある。なぜならば、現在は、昔と異なり日本語さえしっかりとマスターできていれば、高給と将来が保証されるわけではなく、日本語だけできても高給どころか就職すら覚束ない。更に、自らの専門の他にも、英語やITスキル等も習得するのは専攻を問わず最低限の要件となってきており、その上、即戦力になる複合的人材が求められている。従って、語学以外の他の専門知識やインターンを通じた実務経験等も要求される時代になってきており、学生が日本語学習や卒業論文に割ける時間と力は減少してきているのではないか。
しかし、『日語専業卒業論文写作指導』(2012)の中で修剛は「毕业论文的撰写,是社会科学本科阶段教育的最重要环节之一,是培养学生的科学精神、创新能力特别是分析问题、解决问题的能力的重要过程。毕业论文是对毕业生所学学科专业水平的综合演练和检验,也是学校教育教学质量的集中亮相和全面考核。可以说,通过毕业论文可以检验一个学校的教育教学质量,检验毕业生四年的学习成果。因此,任何一所学校都会高度重视毕业论文的撰写,重视对学生毕业论文的指导。」とし、小野寺も卒業論文の意義を「学業の集大成というべき課業であり、受動的になり勝ちな外国語教育においては、学生が能動的に、学問に取り組むことの出来る唯一の機会である。」と述べ、その他の日中の識者も、卒業論文は大学生活の貴重で重要な総決算であるという点で見解は一致している。そして、学生全員が日本語で卒業論文を書いていることと、その指導を中国人教員が行っていること自体が素晴らしいことであり、大学生にとって、卒業論文の重要性は逆に高まっているともいえよう。
さて、以上の現状を認識・把握して、どのように現状の打開を図るかということであるが、今後の方向性として、2つ提言したい。1つは、論文の規範性にばらつきがあることの背景には、論文の書き方を指導する授業が無いか、あっても内容が統一されていない。又は、指導教員によっては、きちんとした論文を書く力があってもそれを学生に指導していない(出来ていない)等の人的・システム的な構造があると考えられる。そこで、大学のカリュキュラムの制限と教員の質のばらつきを補うべく、卒業論文の書き方についての講座や、規範性に優れた論文をインターネット上にて公開し、それを全国の大学の日本語学科の学生が見られるようにするということ。もう1つの方向性として、論述内容を日本に関することにして、使用言語を日本語に限定せず、日本語力はあくまでも加点要件に留めるように変えていくことで、学生が論文規範性を高め、独創性を発揮し易いようにするということである。
(北京第二外国語大学 津田量)
6. 言語部門審査委員の所感
「第十八回日中友好中国大学生日本語学部生卒業論文コンテスト」の最終審査が、2018年11月2日から3日にかけて、天津外国語大学で行われた。今年も、筆者は日本言語部門の審査委員として参加した。
まずは、やはり十八年も継続された当コンテストをずっと支持していただいた日中友好市民倶楽部の小野寺健理事長に心から感謝を申し上げたいと思う。中国国内では、日本語教育関係にかかわる多くのコンテストやスピーチ大会、作文コンクールなどが実施されているが、しかし、十八年間も一回も欠かすことなく続けられているプログラムとしては、このコンテストは唯一ではないかと思う。特に、2012年以降、中日関係が国交回復以来最悪の状況に陥ってしまった時期に、多くの日本関係のプログラムが何れもやむを得ず停止したり、中断したりした局面の中で、このプログラムだけが滞りなく続いてきたことは、やはり主催者側の勇気と献身的な努力の賜物だといわざるを得ない。
そして、このコンテストはそれ自身が続いているだけでなく、それ以外にも大きな影響があった。筆者の所属する北京日本学研究センターは、大学院修士課程以上の大学院コースだが、正にこのコンテストの刺激を受けて、何か全国の日本語修士課程のレベルアップにつながるような事業ができないかと考えて、2008年から「中国日本学研究優秀修士論文“カシオ杯”コンテスト」を実施し、今年で十一年目になり、全国的な影響力も高めてきたが、これもひとえに「日中友好中国大学生日本語学部生卒業論文コンテスト」からノウハウややり方を学んできた結果だと思う。その意味でも小野寺健理事長に感謝を申し上げたいと思う。
ところで、今年の推薦論文の専攻から見れば、毎年と同じように言語部門が21本で、最も多い分野になっている。これは、やはり日本語専攻の各大学の教育現場第一線では、日本語学の論文が指導できる教師の数が多く、卒業論文の時期になると、必然的に日本語専攻とする論文がほぼ毎回第一位を占めてきた理由ではないかと思う。そして、日本語学関係とはいえ、研究の内容から見れば、また、日本語そのものの研究(5本)、コミュニケーション研究(6本)、翻訳研究(5本)、日本語教育研究(3本)、中日対照研究(2本)など、かなり多様化しているとわかる。
これらの論文を審査した結果、揚州大学から推薦された論文「『連語可能性』説に基づいた類義語分析―『切符』『券』『チケット』―」が一等賞に選ばれ、河南師範大学から推薦された論文「『試す』と『試みる』の対照研究」が二等賞に選ばれ、西安外国語大学から推薦された論文「身体語彙慣用句の中日認知対照研究」が三等賞に選ばれた。
学生の卒業論文を指導し、また長年来このコンテストの審査にかかわってきた者として、ここで特に強調したいのは、学生の卒業論文としては、もちろんオリジナリティも重要なことだが、一外国人の学生が卒業論文の段階で大きなオリジナリティを期待するのが無理な面もあり、むしろ、しっかりとした方法論に基づき、独自に研究対象に関して徹底的に調べ、その上自分なりに分析したというプロセスを十分に反映された論文のほうが評価されるべきではないかと思う。そして、今回各賞に選ばれた論文は、いずれもその意味で十分にレベルの高い論文だと考えられる。
ほかには、もちろん研究分野が多様化しているのがとても嬉しいことだが、まだ研究の蓄積が足りないというせいか、論文のタイトルなどを見ると、良い論文ではないかと期待したが、読んでみるといま一つ期待とおりの内容がなかったのがいくつかの論文があった。
例えば、日中の新聞記事における伝達表現について比較研究を行った論文があったが、しかし、中身を見ると、結局事実の羅列があったが、何故双方の伝達表現に主観性の差が見られたかについての分析がほとんどなかった。また、日本語教育関係の研究では、中国における日本語外来語教育の現状に関する研究もあったが、分析もあり、テストも行っているが、しかし、データーとしては一種類の教材に限ったというのも、物足りないという感じがする。それから、近年来翻訳関連の研究も増え、これは翻訳や通訳関連の教育が展開されている成果ではあるが、しかし、異なる訳本の違いを並べたりするだけでは、やはり研究としては成り立たないと思う。また、今回の推薦論文の中に、中国高等教育機関における日本語教育研究の現状に関する論文が1本あったが、学生の卒業論文には、このような内容はあまり提唱しないほうがいいと私は思う。
入賞論文についてまとめたところで申し上げたように、学生にはやはりしっかりとして研究対象と問題点のある内容をもとに、先行研究の勉強を通して、何が解決されて、何がまだ問題があるのかをしっかりした問題点を把握したうえで、科学的な方法論に基づき、独自に対象となる研究データーを調査し、分析し、自分なりにその解決方法をまとめるような論文を推奨したほうがいい。つまり、学生に卒業論文を作成するプロセスを通して、問題を発見し、その問題を分析し、更に解決していく能力を身につけてもらうのが、卒業論文作成の最大の目的ではないかと思う。
もちろん、以上のような問題はまだ存在するものの、ここ数年来大学生卒業論文のレベルが年々上がっているのがわれわれ審査委員一同の共通認識である。その中で、近年来教育現場の各大学と先生たちの努力は根本的な原因であるが、このコンテストがそれに対して大きな推進力になっているという事実も否めないと思う。今後はこのコンテストがますます発展するのをお祈りし、筆者の審査所感とする。
(徐一平)
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