人民網日本語版 2018年12月2日(日) 19時20分
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スピーチ大会や作文大会に参加したくない学生の割合が大いに増えてきていると感じている。
「日本語スピーチ大会に参加しよう」という内容のコラムを2014年に書いたが、その中で、「自信のなさや、恥ずかしい思いをしたくないといった自尊心を守ろうとする心から」参加したくない学生が多いと述べた。
しかし、その後2018年現在にいたるまでに、スピーチ大会や作文大会に参加したくない学生の割合が大いに増えてきていると感じている。中国で日本語を教えている教員たちによると、スピーチ大会に出たいという学生は激減し、作文大会も自主的に応募する学生はほとんどおらず、作文大会は一見盛況にみえるが、団体賞を目指す教員によって授業や宿題で強制的に書かされた作品が大多数であるという。こうした現状を数校の中国の大学の学生たちに聞いたところ、ほとんどの学生はこれらの大会に参加したくなくなってきている、というより、関心すらなくなっていた。その理由は、そもそも「日本語にそれほど興味を持っていない」や、ただ「やる気がない」といったものも多く、殊に外国語大学でない総合大学や理工系、財経など他の専門がメインの大学で顕著であった。エリ・ヴィーゼルの「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」という言葉が思い浮かんでくる。
また、日本への留学についても、中国の学生は、以前はとにかく日本に留学したくて、わずかな留学枠を得ようと必死だったが、現在は国公立大学や有名私立大学ならいざ知らず、中堅以下の私立大学には、授業料免除や奨学金があったとしても枠が埋まらないという事態が本学のみならず、他大でも頻発しているという。留学したいのに学内での選考に漏れて行けずに涙を流す学生の相談を毎年のように受けていたのは、今は昔である。「学生の日本語のレベルも、年々低下している」と言う教歴20年30年の中国人ベテラン教員は多い。特に2000年代に入ってから中国は変化が速く、十年一昔でなく、五年一昔の感覚だ。
では、なぜこのようになって来ているのだろうか。
先ず、日本語人材の需要に対する供給過多。日本への留学が容易になったことで、普通の一般家庭の子弟でも容易に日本に留学できるようになり、留学が身近な選択肢になったために、ただ日本に留学したというだけでは価値がなくなり、どこに留学したかも問われるようになってきたためであろう。さらに、2000年代以降、中国全土の大学に雨後の筍のように500校を超える大学で日本語学科が設置され、毎年大量の日本語人材が輩出されるようになっていることがある。
次に、日本語人材の需要減少と、日本語を学ぶことによる経済的報酬の期待値の低下。グローバル化で世界語と化す英語に比べて、人口が減少し、経済も縮小していく日本でしか使えない日本語人材の市場価値が、大きく減価してきている。20年前ならば、日本は豊かで中国は貧しく、両国の物価差は大きく、留学は困難で、日本語学科のある中国の大学も少なかった。日系企業は競って中国に進出し、社会には日本語を学びさえすれば、優れた待遇の仕事に就けるという共通認識があった。しかし、現在は撤退する企業すら相次ぎ、残った企業も現地化して、日本語ができるという学生よりも、法律や経済、専門技術など、専門知識を有する人材を求めるようになってきている。また、日系企業を見れば分かるように、ただでさえ日本語人材への募集は多くなく、待遇も中国企業や他国の外資企業と比べて相対的に低下してきており、今後上がっていく見込みも薄い。例えば、中国市場の電気製品ではパナソニック・SONY・日立・シャープ・NECなどが、ハイアールや華為や小米などに取って代わられていることからも見て取れる。2017年には華為が日本で新卒を初任給40万円で募集し、新卒初任給20万円横並びの日本社会にショックを与えたのは記憶に新しい。貧困化し続ける日本と豊かになっていく中国の縮図を見ているようで複雑な心境になる。
さらに、AI化の進展。AI翻訳の精度は年々上がり、すでに日本語専攻の学部卒業生のレベルを超え、大学院修了者を凌駕するのも時間の問題であり、同時通訳のワイヤレスイヤホンすら開発されてきている。翻訳精度はさらに加速度を上げて向上していく。4年間、さらには大学院も含めた6~7年間をかけて日本語を学ぶというのは益々割に合わなくなってきている。
また、今の大学生はサークル活動やインターンシップへの参加、就職活動に加えて、中間試験・期末試験はもとより、日本語能力試験や日本語専業4級・6級・8級試験、英語4級・6級などの試験、さらにはトフルなどの語学試験などに加え、大学や学院にさまざまなイベントやボランティア活動に駆り出されるなど、相当に多忙である。また、中国の大学の科研業績の重視と教学軽視の流れの渦に語学教員も巻き込まれており、教員もゆとりがなくなってきている。このような大学の教育システムも学生の大会離れに関係していると思われる。
つまり、学生は日本語を習得しても多くが日系企業に就職できるわけではない上、日系企業の賃金水準は相対的に低下し、通訳や翻訳はAIの登場で先行き不透明なので、日本語をマスターすることだけに力を注ぐのはリスクが高い。日本語専攻を選んだにせよ、選ばざるを得なかったにせよ、急速に変化する時代に合わせて自らを変化せねば、卒業後すぐに困難に直面することになるので、大学時代に学ぶ内容も、日本語に+αせねばならない。近年、ダブルディグリーで、学部在学中に会計や法学等の日本語以外の専門学位を取得したり、日本語学科を卒業して、欧米の大学院に進学したりする学生が増加しているのもそのためだろう。英語、IT能力はもとより、将来の展望に合わせて各自が選び学ぶ必要もある。今の学生を批判するどころか、「本当に大変だなぁ」と、現在の学生たちに頭が下がる。
そんな中、現在、教員も把握しきれない程数多くの各種日本語関係の大会が中国全土・各地区で開催されており、大会の権威は低下してきている。都市部では一般家庭も豊かになってきており、何も、日本語スピーチ大会などに出て入賞しなくても、電子辞書も買えるし、日本にも自由に旅行に行ける。留学するにしても、交換留学・学費免除で二流三流の大学に行くくらいなら、一流大学へ自費で留学するという時代になってきている。こういった背景の下、日本語のスピーチ・作文等の大会参加には、意義や価値を見出せなくなってきているのであろう。
社会や学生がこのように大きく変化してきているが、各種の日本語大会は相も変わらない。お題も過去数十年「日中友好の未来」的なものを繰り返している。そろそろ大会のあり方を見直す時期に来ているのかもしれない。いっそお題も「新時代における日本語スピーチ大会の在り方」とか「日本語専攻の未来」「日本語学科はどのように生き残るか」などとして、若い学生のアイデアに虚心に耳を傾けるというのはどうであろうか。(提供/人民網日本語版・文/北京第二外国語大学副教授 津田量)
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