<現地ルポ・中国の実態(3)>旧満州国の首都だった長春、ラストエンペラーの数奇な生涯が甦る―自動車産業の拠点として繁栄

八牧浩行    2019年1月3日(木) 11時30分

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吉林省の省都で政治、経済、文化の中心都市・長春は、1932年に誕生した傀儡国家・満州国の首都として日本によって建設され、1945年の敗戦まで新京と呼ばれた。写真は長春の旧満州国時代の建物(筆者撮影)。

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昨年12月に中国の東北地方を訪問、各地を取材し多くの人たちと交流した。瀋陽から長春までは300キロ余り。最高時速350キロの高速鉄道は途中一駅止まっただけで、東京―名古屋間とほぼ同じ距離をおよそ1時間で長春駅に滑り込んだ。

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◆凍てついた平原に巨大風力発電所

途中、車窓からは凍てついた平原や畑が広がり、時折農家の集落が点在する風景が見えた。風力発電所も数カ所あり、それぞれ巨大風車のプロペラが50~60基回っていた。火力発電所の巨大施設や工場も点在していた。

吉林省の省都で政治、経済、文化の中心都市・長春は、1932年に誕生した傀儡国家・満州国の首都として日本によって建設され、1945年の敗戦まで新京と呼ばれた。

市内には新京時代の建築物が多く残っている。新市街とそれを包囲する形で商埠地(清政府が外国人居留地として指定・開放した地域)が配置され、新たに執政を行う官公所などの多くの公的機関はこの商埠地に設置された。米国の首都ワシントンをモデルにつくられ、日本によって道路や鉄道、路面電車などの交通インフラが整備され発展した。

1945年にソ連対日参戦で満洲国が崩壊すると新京は再び長春と改称され、ソ連軍の占領下で進出していた中国共産党が同年11月15日に長春市政府を設立した。国共内戦では毛沢東軍による長春包囲戦を受け、長春一般市民の3分の2に相当する数十万人が餓死する大惨事となった。その結果、1948年からは人民解放軍の勢力下に置かれ、1949年に中華人民共和国が成立すると、長春は吉林省の省都となった。

◆「満州国テーマパーク」の様相

現在、満州国当時の皇宮や国務院、司法部、経済部、外交部、交通部、満州国中央銀行、郵便局や関東軍司令部、南満州鉄道などの建物がそのまま残っており、中国政府や銀行、大学などの建物などとして活用されていた。いずれの建物も豪壮な石づくりの特徴のあるデザインで、中国、日本、西洋の城郭にも似ている。計画都市だけに大きなロータリーを中心に大通りが放射状に延び、大公園も随所に配置されさながら「満州国テーマパーク」の様相をみせていた。利水ダムや下水道、幹線道路など、社会インフラの基盤が現在でも活用されている。

満州国皇帝に即位した愛親覚羅溥儀が執政した旧満州国皇宮は日本の建築技術で建てられた建物や庭園が残されている。「偽満皇宮博物院」として観光名所となっており、多くの観光客で賑わっていた。建物の中には中国最後の皇帝溥儀の当時の生活や歴史などが展示され、「ラストエンペラー」の数奇な生涯が甦る。

1906年、溥儀は清朝11代皇帝光緒帝の弟・愛新覚羅載灃(さいほう)の子として北京で生まれた。時の最高権力者・西太后から皇帝に指名された溥儀は、1908年に紫禁城で12代皇帝宣統帝として即位した。この時、わずか2歳10カ月。母親の元から引き離された溥儀は、ここで皇帝としての教育を受けた。

1912年の「辛亥革命」によって250年以上続いた清朝が滅亡。皇帝の座を追われたものの、革命後も中華民国政府に紫禁城での生活が認められたが、1924年11月、軍事クーデターの影響で宮殿から退去を命じられ、溥儀は、結婚したばかりの妻とともに天津の日本租界へと移った。1931年9月18日、「満州事変」が勃発すると、日本の関東軍は短期間で中国東北部を占領。この地を中国本土から切り離し、新たな国家を建設しようと計画。関東軍が新国家の元首として迎えたのが、清朝最後の皇帝・溥儀だった。満州の地は、清朝の発祥の地でもあり、溥儀は清朝再興を目指しこれに応じた。

1945年8月9日、ソ連が「日ソ中立条約」を反故し、対日参戦。関東軍の主力はすでに満州にはなく、圧倒的なソ連軍の侵攻の前に、満州国はなす術がなかった。溥儀たちはソ連軍から逃れるため、首都の新京を放棄し、南に向かった。その後溥儀は投獄されたのち、釈放され61歳まで生きたが、その悲劇的な生涯が人形やイラストの形で展示されていた。

◆自動車、高速鉄道の製造拠点に

現代の長春は人口750万人。戦後、中国大手自動車メーカーである中国第一汽車集団の本社が設立され、トヨタ、マツダ、独フォルクスワーゲン・アウディが第一汽車との合弁・技術提携などの形で進出、これらの自動車メーカーを取り囲むように多くの部品関連メーカーが立地、自動車を中心とする工業都市として発展してきた。中国で急拡大する高速鉄道の製造拠点もあり、「ものづくりの街」として生まれ変わった。一方、「科学技術文化の城」とも呼ばれ、大学、科学研究所、文化施設が多く、吉林大学、東北師範大学など著名な大学が所在している。

また長春は映画産業の拠点としても重要。満州国の満州映画協会(満映)は、満州国の正当性や建国理念の五族協をアピールする記録映画や劇映画をつくった。李香蘭(山口淑子)は絶世の中国人美女役で人気女優となった。戦後はレンガ造りの建物やスタジオを引き継ぎ長春映画撮影所となり、共産党革命の成果を鼓舞したり、国民の感涙を誘ったりする中国映画産業の一大拠点の役割を果たした。現在、長影旧址博物館として中国映画の変遷やスターの写真や胸像などを展示、シネマコンプレックスも併設する人気の観光スポットとなっていた。

この中国東北地方訪問時、極寒の季節で連日零下15~20度。1945年の秋から冬にかけた過酷な気候下、逃避行を余儀なくされる中で、ソ連軍などの略奪・暴行に遭った満蒙開拓団、そして取り残された残留孤児の悲劇も忘れてはならない。戦争によって女性や子どもなど一般市民が犠牲になった歴史を、関係者から聞き、侵略と戦争がもたらした悲惨な歴史を改めて思い知った。

(続く)

■筆者プロフィール:八牧浩行

1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務めたほか、欧州、米国、アフリカ、中東、アジア諸国を取材。英国・サッチャー首相、中国・李鵬首相をはじめ多くの首脳と会見。東京都日中友好協会特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著・共著に「中国危機ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外国為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。

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