IWC脱退を決めた日本はなぜ「クジラを食べる」ことをやめられないのか

人民網日本語版    2019年1月4日(金) 18時10分

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国際捕鯨委員会(IWC)から脱退することを宣言した日本はこのほど、今年7月から商業捕鯨を再開する方針を示した。

 国際捕鯨委員会(IWC)から脱退することを宣言した日本はこのほど、今年7月から商業捕鯨を再開する方針を示した。

オーストラリア海洋保護協会のダレン・キンドリサイズCEOは、「日本の『IWC脱退』は、『国際社会に背く』ことであり、『他の国際条約・公約にとって非常に危険な先例となる』ことを意味している」とコメントした。

ニュージーランド・ホエール&ドルフィン・トラスト(The New Zealand Whale and Dolphin Trust)のLiz Slooten代表は、「日本がIWCを脱退すれば、IWCにとって重大なダメージとなる恐れがある。一部の国が日本に倣うことも考えられ、IWCは分裂してしまう可能性もあり得る」との見方を示した。

日本のIWC脱退宣言に対する憂慮や非難は、なぜこれほど強烈なのだろうか?また、日本はなぜIWCを脱退しなければならなかったのか?

◆捕鯨は日本の伝統文化

多くの日本人にとって、「捕鯨は日本の民族的伝統だ」という考えだ。

日本では、縄文時代(紀元前1万4500年~300年前)の土器が出土しており、その土器の表面には、捕鯨の絵が描かれており、クジラの骨も見つかっている。当時、日本北部に住んでいた少数民族のアイヌ人が、毒を持つ植物から毒を採取し、その毒を矛の先に塗り、小舟に乗って海に出て鯨を捕獲していたと推定されている。

だが、捕獲が極めて難しかったことから、クジラの肉は、当時の人々にとって、日常的に摂取できる食材ではなかった。日本における大規模かつ組織的な捕鯨が行われ始めたのは、室町時代(1336年―1573年)末期の記録から読み取れる。当時、捕鯨の主な目的は、鯨油を取ることで、鯨油から灯油や水稲用殺虫剤が造られていた。「明実録」には、日本から明朝にクジラを貢物として贈ったという記載がみられる。15世紀の日本では、年間約800頭の鯨が捕獲されていたと推定されている。

その後、捕鯨業は次第に製銅業や製鉄業に肩を並べるほどの国の一大産業になっていった。捕獲したクジラの利用範囲もより拡大し、鯨油は灯油のほか、石鹸、スキンケア用品、潤滑油の原料としても利用されるようになっていった。

明治時代になると、実業家の岡十郎氏がノルウェーの捕鯨技術を導入した。その方法は、遠くから捕鯨網をかけるという方法で、捕鯨の難易度を下げただけでなく、安全性も向上し、捕鯨の効率は大幅にアップした。目先の利益優先で将来のことを考えないというような方法が横行したことで、当然のことながら、日本近海の鯨の数は激減した。だが、漁民たちは捕鯨を止めることなく、今度は遠洋にまで繰り出すようになっていく。1934年、日本初の遠洋捕鯨船団が南極に赴いた。1938年から1939年のシーズンだけで、6隻の日本遠洋捕鯨船が南極海域でシロナガスクジラ2665頭、ナガスクジラ3344頭、ザトウクジラ883頭、マッコウクジラ647頭を捕獲した。

第二次世界大戦中、捕鯨業は一時中断された。敗戦後、日本国民の生活は疲弊し、極度の食料不足に陥った。マッカーサー連合国軍最高司令官の主導のもと、日本は近海および遠洋での捕鯨を再開。東京農業大学の小泉武夫教授が著した「鯨は国を助く」によると、1947年の日本の食肉供給量のうち、動物性タンパク質総量に占める鯨肉の割合は70%に上り、捕鯨量は1957年から1962年までピークに達し、鯨肉への日本国民の実質依存度は70%を占めた。当時、年間約2万4千頭の鯨が捕獲されていた。

このような状況から、「鯨肉を食べて育った世代」が生まれた。それは、戦争中または戦後に生まれた日本の子供たちのことだ。

実際には、日本経済の高度成長に伴い、肉類の輸入が増えたことで、鯨肉の消費量は減少傾向が続いた。英BBCの報道によると、2015年、日本人1人あたりの鯨肉消費量はわずか30グラム(卵1個の重さは約50グラム)だった。

このほか、米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」では、非常に大きな時間を割いて、イルカの肉や鯨肉に含まれる汚染物質の濃度が極めて高く、一部の数値データは、日本政府が定める上限を大幅に越えていることが強調され、これらの有機水銀化合物による慢性中毒は、「第二の水俣病事件」になる可能性が高いと警告している。

このようにたとえ「伝統」であったとしても、すでに廃れようとしているところであり、その上重大な健康リスクも潜む食材なのだ。

◆目的は選挙票獲得

健康面でのリスクだけでなく、捕鯨業は経済的危機にも直面している。

朝日新聞が2006年に行った統計によると、日本国民のうち、「日常的に鯨肉を食べている」人は4%だけで、「ごくたまに食べる」は9%、「食べたことがない」は53%、「この先も永遠に食べることはない」は33%だった。また、日本で食用とされず売れ残った冷蔵鯨肉の量は、2002年から2012年までに倍増、4600トンに達した。

このような現状であるにもかかわらず、なぜ日本は大量の捕鯨を続けようとしているのか?

実は、雇用とその背後にある選挙票が、その重要な原因となっている。

捕鯨業の生産額がGNPに占める割合は低いものの、その関連産業チェーンは極めて大きい。太平洋海域だけでも、日本は1千隻以上の捕鯨船と10万人の捕鯨業従事者を擁している。もし日本が捕鯨を完全に放棄すれば、これらの業界関係者は生計を立てる術を失ってしまう。これは、失業率が高いままの日本にとって大きなダメージとなる。

また、農・林・漁・牧畜業に従事する国民は、現在政権を握っている自民党にとって重要な支持層であることから、彼らの生計を揺るがすようなことが生じた場合、支持率の低下がまぬがれなくなるのだ。

そのため事実上日本が捕鯨をやめることはあり得ず、捕鯨業に対する政府の支援は今後も続くとみられる。

日本が現在実施しているいわゆる「科学研究目的での捕鯨」のための経費は、国が賄っている。具体的には、農林水産省とその傘下にある水産庁が負担している。一般的には、彼らは日本鯨類研究所に業務委託する形でこれらの任務を遂行している。

統計によると、2005年から10年間、日本の国庫から約80億円の税金が日本鯨類研究所に拠出されてきた。

2015年に環境保護団体が日本政府に宛てて出した連名での書状の内容によると、日本政府は、「科学研究目的での捕鯨」のための補助金として31億円を拠出している。このほか、捕鯨業界は、「日本漁業の振興」と謳った漁業推進プロジェクト補助金45億円を水産庁から支給されている。

こうしたもろもろの資金援助のほかにも、日本政府は災害復興支援のための資金まで、いわゆる「科学研究目的での捕鯨」に充てている。

2013年3月、朝日新聞は、東日本大震災およびそれに伴う津波による被災者の「復興予算」のうち、1千億円以上が被災地再建に使用されていないと報じた。このうち22億8千万円は、南太平洋海域で反捕鯨活動を繰り広げる環境保護団体「シーシェパード」のパトロールに備える目的で、捕鯨船団の保安強化のために使用されていた。

このように「雇用」と「選挙票獲得」による挟み撃ちを受け、日本の捕鯨放棄は実現が極めて難しくなっている。

◆国際的な駆け引き

現在、日本国内の一部の学者は、「捕鯨業の発展は国家の安全に関わっている」との認識を持っている。

彼らは、「欧米諸国が日本の捕鯨に反対する目的は、日本を叩き潰すことにあり、彼らが設けた商業捕鯨禁止というルールは、純粋な環境保護意識によってではなく、政治・経済面で日本を押さえつけようと企てた結果である」としている。

最も積極的に動く米国の狙いは、日本の食糧供給を米国に大いに依存させ、牛肉の輸出を増やし、飲食文化でも日本を同化させることにある。

日本の一部保守勢力は、これについて深い憂慮の念を抱き、「日本人は米と魚を食べる伝統的な食文化を維持すべきだ。だが、今の若い人々にとって、パンや牛肉を食べる習慣はますます日常化しており、これは日本の民族意識に由々しき影響を及ぼし、最終的には日本の食糧の安全が欧米によって制限される結果を招きかねない」と指摘している。

このため、日本人は、「我々が鯨を捕るのは、目先の利益のためではなく、危機意識の現れである」と感じるようになった。

日本の一部の大手捕鯨企業は、現地の学校とタイアップして、学生に鯨の解剖プロセスを見学するよう招き、日本の飲食伝統と捕鯨業の「輝かしい歴史」を次世代に教えこもうと試みている。

いわゆるこうした「島国の危機的意識」だけでなく、海洋権益をめぐる争いも存在する。

捕鯨と他の海洋資源との間には、複雑きわまる関係がある。日本が捕鯨をやめないのは、これを駆け引きの道具として、自国の漁業政策を保障し、海洋資源、特に南極地域の海洋権益を奪取し、さらにはそれをコントロールする狙いがある。

日本が頻繁に自衛隊艦艇を派遣して捕鯨船による遠洋捕鯨の保護を行うといった活動に、このような政治目的の追求を垣間見ることができる。(編集KM)

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