<コラム>老いた人?

石川希理    2020年1月12日(日) 15時10分

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中国では、都市部の太極拳や路上将棋のように、高齢者はのびのびと、時間の海の中でゆったりと過ごすようなので、そういう国から見ると、日本の高齢者は働き過ぎらしい。写真は南京の高齢者。

老人はいまのところ70歳以上である。

「いや、前期高齢者は65歳じゃないか?」

法的にはそうだが、退職年齢が65歳に移行しつつある現在、退職した途端に=老人ではおかしい気がする。介護のお世話にならない健康寿命が72歳だから、まあ概略70歳までは「老人」と呼ばなくていいだろう。

実際、高齢者が集う、高齢者大学や、高齢者スポーツ、高齢者趣味の会では、60代は少ない。60代で出かけると「お若いのに」と揶揄される。体力仕事は押しつけられる。

70歳になって出かけると、まあグループに受け入れられる。80歳を超えると「お元気ですねえ」と70代から賛嘆される。

約10年後-2030年、老人は75歳以上となる。

もっとも現在の若い世代は退職年齢が70歳になるだろうから、2030年にならないうちに、「老人」は「75歳から」となるかも知れない。

「かなわんなあ」という若い世代の方の感慨は理解できる。

しかし、健康寿命は72歳程度で打ち止め、そう進まないと思えるから、「ガタガタガタ」と身体が崩れ出す75歳当たりが「老人」「高齢者」という世代になるのはそう間違っていないと思う。

現在の日本の高齢者は、概ね豊かで元気だ。高齢者大学だ、趣味の会だ、第9の合唱だ、ゴルフだ、将棋に麻雀だ、カラオケにマラソン大会にハイキングだ、ジャズだ、ボーリングだ、タレント追っかけだ、短歌だ、海外旅行だと「悠々自適」の方も多い。

無論、基礎年金だけという年金格差もあるので働いている方も多い。

中国では、都市部の太極拳や路上将棋のように、高齢者はのびのびと、時間の海の中でゆったりと過ごすようなので、そういう国から見ると、日本の高齢者は働き過ぎらしい。

日本では生活費の足しという切実な方以外に、小遣い稼ぎ、社会貢献し続ける「生きがい」として働く人もまた多い。

お隣の韓国は、年金制度などが遅れていて、働かねば生きられないと高齢者はシビアだ。それに比べると「日本老人」は「生きがいのために働く」という人も多く豊かである。

老人天国 であろうか。どうも威張る方も多い。

高齢者が肩を怒らせて、胸をはって…、道を譲らない。退職前の肩書きが捨てられない。

部長に、課長に、組長に、校長にと「長」がつく仕事だったので「○○さん」と呼ばれることに抵抗がある。長がつかなくても、その経験から、若い人に「おやっさん」と慕われ、「歳」に尊敬を払われてきた。

部下や若い人に「ごくろう」「ご苦労さん」と言い、自分が帰るときには若い人から「お疲れ様でした」と言われてきたので、平民に戻れない。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

である。老人は精神的にも「実って」いなければならないのだが、この部分は、恥ずかしいことに私も成長していない。(悲)

これだけ進歩が早く科学が進み出すと、技術もすぐに陳腐になる。

経験も世界が変わるので役立たないことが多い。おまけに希少価値であった老人が多くなり、むしろ邪魔になる。もう変えられないと思い込みたい性格や古い経験は石のように固まり、頑固に拍車を掛ける。

といって老人は安楽死を望みつつ、いざ自分で死を選ぶとなると躊躇する。生にしがみついてはいないと思うのだが…。この、重いお話は別の機会に…。

■筆者プロフィール:石川希理

1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小学校・飛松中学校・星陵高校・神戸学院大学・仏教大学卒です。同窓生いるかな?小説・童話の創作と、善く死ぬために仏教の勉強と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文芸祭りの選者(それぞれ随筆と児童文学)をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時折友人達などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時折禁酒(笑)。中学教員から県や市の教育行政職、大学の準教授・非常勤講師などをしてきました。児童文学のアンソロジー単行本数冊。小説の自家版文庫本など。「童話絵本の読み方とか、子どもへの与え方」「自分史の書き方」「人権問題」「瞑想・仏教」などの講演会をしてきました。

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