工藤 和直 2019年3月22日(金) 16時20分
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河南省濮陽市は、山東省都済南市から東南へ黄河を上ること250kmにある中堅都市である。街の中央にある戚城遺跡は、「史記」によると上古時代の五帝王「顓頊:せんぎょく」が住んでいた「帝丘」といわれ、春秋時代は「衛」の王都となった。
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河南省濮陽(プヤン)市は、山東省都済南市から東南へ黄河を上ること250kmにある中堅都市である。街の中央にある戚城(イジョウ)遺跡は、「史記」によると上古時代の五帝王「顓頊:せんぎょく」が住んでいた「帝丘」といわれ、春秋時代は「衛」の王都となった。衛(紀元前11世紀 ~紀元前209年)は、春秋時代から戦国時代にかけて河南省の一部を支配した春秋12諸侯のひとつ(地図1)。衛の始祖は周の文王の九男の康叔である。康叔は周より衛君に封じられ、朝歌(紀元前11世紀~紀元前660)を都とした。
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衛19代“懿公(いこう)”は紀元前669年に即位、鶴を好み大夫の車に乗せ鶴に爵位を与えるなど淫楽奢侈な性格であったため、人民も大臣もみな服従しなかった。懿公9年(前660年)12月、北の異民族の翟(てき、狄)が衛を攻撃してきた。懿公は出兵しようとしたが、兵は従わず、大臣にいたっては「鶴が好きなら鶴に翟を撃たせたらよいでしょう」と言う有り様、誰も懿公に従おうとはしなかった。懿公は少数の衛軍を率いて翟の軍勢と熒沢の地で戦ったが、懿公が旗を立て通したため集中射撃を浴びて戦死した。こうして衛は大敗、懿公は戦死後に人肉として翟人に食べられたという。鶴を愛するが故に身を滅ぼした懿公の愚行に対し、“懿公喜鶴”とか“懿公之鶴”という故事ができた。下らない物を重んじて大事を疎かにして身を滅ぼす行為のことをいう。
国都は朝歌のあと紀元前660年に曹(滑県)、紀元前659~紀元前629年に楚丘(滑県の東)、紀元前629~紀元前241年に帝丘(濮陽)、紀元前241~紀元前209に野王(駐馬店市沁陽県)に遷都した。その領土は狭いとはいえ、黄河流域の中原の中心地であり、先進地帯であった。
戦国時代には韓・魏の半属国状態となり、紀元前240年には秦に事実上滅ぼされるものの名目的には細々と続き、最終的には最後の君主・衛君角が秦の二世皇帝(胡亥)に廃されることでついに滅んだ(紀元前209年)。
2008年7月の中国通信社の報道によると、この戚城遺跡は竜山文化遺跡(約5000年前)と重なり、発見された周囲1520m、南北405m、東西390mの城壁跡(高さ8.5m、幅15m)は、春秋時代の衛国の都城跡とほぼ同じで、春秋城壁は竜山城跡を基礎に建設されたものと推定された。五帝王「顓頊:せんぎょく」が住んでいた可能性もあるので、真に“中国5000年”といわれる時代が来るかもしれない。今後の発掘調査が楽しみである。
戚城は春秋時代7度の会盟が行われた「諸侯会盟」の地として知られている。紀元前626年~紀元前531年の95年間の間に、周王朝は15回の会盟を行い、そのうち7度がここ濮陽戚城で行った。その跡は「会盟台」として現存する(高さ4.6m、長さ20m×幅16m、写真1右下)。この地は春秋時代交通の要所であったということだ。戚城城壁は周囲1500m程度で、そのうち北と東の城壁がほぼ完全に残されている。周囲1500mの城壁を一周することで、約7000年前の裴李崗文化・仰韶文化・竜山文化そして商(殷)・周・漢の文化を一望に散策できるのを特徴とする。1991年2月5日、江沢民総書記が濮陽で発見された油田を視察した際に戚城遺跡も見学、“春秋時代の連合国”と称した。
戚城遺跡(写真1)は、濮陽駅から北へ1kmほど行った石化東路×古城路に囲まれた場所にあり、正門は国道212号線側にある。正門から入ると約100mで龍に乗った「顓頊:せんぎょく」の石造がある(写真右上)。その奥から約400m四方の戚城城壁が見えて来る。城壁は版築工法で作られたもので、4000年以上経過しているが、保存状態は良好である。一部は金網フェンスなので保護されているが、大半は城壁の上を散歩可能である。一周しても1500m程度、約30分でほぼ戚城に内部を探索できるほど小さい。至る所に埋蔵物の調査が行われた痕跡があり、南門付近には江沢民が来た石碑が建立されている。さすがに鶴は居ないが、ちょうど春の陽気で白梅や紅梅が満開であった。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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