アン・リー監督の成功支えるクールな妻、ラブコールに「気持ち悪い」―台湾

Record China    2013年3月16日(土) 18時46分

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15日、「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」で第85回アカデミー賞の監督賞を受賞したことで、「ブロークバック・マウンテン」(05)に続きオスカーの栄誉を2度も手にしたアン・リー監督は過去に、妻に6年間養ってもらった経験を公表している。

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2013年3月15日、「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」で第85回アカデミー賞の監督賞を受賞したことで、「ブロークバック・マウンテン」(05)に続きオスカーの栄誉を2度も手にしたアン・リー(李安)監督は過去に、妻に6年間養ってもらった経験を公表している。このため、妻の林恵嘉(リン・フイジア)さんは世間から「できた妻」として尊敬されている。しかし林恵嘉さんはこの称号が好きでないという。アン・リー監督がアカデミー賞の監督賞を受賞した後の林恵嘉さんの感想は「いくつオスカー像を持ち帰ってこようと、あなたはいつものアン・リーであって、家は撮影現場ではないんだから、やるべき家事は自分でやってください」という、なんとも肩に力が入っていないものだった。重慶晩報が伝えた。

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■クールな妻

「クール」はアン・リー監督が妻を形容するときに使う賛美の言葉だ。1983年8月19日、イリノイ大学のクラスメートだったアン・リー監督と林恵嘉さんはニューヨークで結婚した。アン・リー監督がアカデミー賞授賞式で妻に対して高らかに「愛している」と叫んだ時、林恵嘉さんの反応は「おかしいんじゃない?気持ち悪いしつまらない」というものだった。受賞後に「どのように祝うか」というマスコミの質問に対しても、林恵賀さんは「別にお祝いすることではないでしょ。前回受賞した時も特に祝わなかったし、私たちこういうことは一切しないの」と相変わらずクールな態度で言い放った。

アン・リー監督が「ウェディング・バンケット」で初めてベルリン国際映画祭で金熊奨を受賞した時、このめでたい報告を急いで妻にしようと電話をすると、意外にも妻は電話で起こされたため非常に不機嫌だったという。林恵嘉さんは一般の人とは異なり、俗っぽいことが好きでなく、名誉や富にも興味がない。

■自立心が旺盛な妻

1984年5月にアン・リー監督の長男ハーン・リー(李涵)さんが生まれた時、アン・リー監督は妻のそばにいなかった。アン・リー監督は「その日の夜、家に戻って初めて、妻が子供を生んだことを知った。翌日、イリノイ州にいる妻を見舞うためあわてて飛行機に乗り、間抜けな感じで病院に飛び込んだら、私を見てみんな拍手をして迎えてくれた」と出産に関わるエピソードを語っている。実は、子供を生む前日、夜遅くまで実験をして家に戻った林恵嘉さんは、もうすぐ破水しそうな気配を感じ、ガソリンが切れそうな車を自分で運転して病院にやってきたのだという。医者が林恵嘉さんにアン・リー監督に伝えるかどうかを聞いた時、林恵嘉さんは「必要ないです」と答えたという。

このような自立した態度は、林恵嘉さんが自分自身に対する追求を体現したものだ。自分のことを「かなり怠け者だが、羞恥心が強い」と表現する林恵賀さんは、お金を使ったり、浮ついた名誉などを気にしたりすることが面倒という。そんな林恵賀さんが唯一面倒だと思わないものが仕事だ。現在、米国イリノイ大学の生物学博士である林恵嘉さんは、長年、実験室に浸り、生物学の実験研究に打ち込んできた。

■善良な妻

アン・リー監督は初めて賞金をもらった時、あまりに嬉しくて、生活環境を改善するべく、すべての賞金を妻に渡したのだという。しかし、思いがけないことに林恵嘉さんはこの賞金をすべてアン・リー監督の弟リー・ガン(李崗)氏に貸してしまった。当時、リー・ガン氏は商売の失敗で借金を背負っており、かなりの金額を必要としていた。この賞金の件で、リー・ガン氏は後々になってもずっと林恵嘉さんに感謝の気持ちを抱いているという。

■一家の精神的な柱

林恵嘉さんは自分の生涯の仕事は一家に3人いる芸術家たちの精神的なマスター、車の運転手、家の管理人、精神の拠り所となることだと語っている。「妻は家の中のルールの立案者であり、家事のすべてのことは妻が決める」と語るアン・リー監督は自分の成功の秘訣は「恐妻家」であることだと述べている。

■かつて離婚を考えたことがある

今や多くの人の羨望の対象となった林恵嘉さんだが、自身とアン・リー監督はごく普通の平凡な夫婦に過ぎないと考えている。過ごしてきた日々もつつましく、かつて離婚を考えたこともあるという。林恵賀さんが甲状腺機能こう進を患った時も、映画「推手」を準備していたアン・リー監督からは「すまない。今回も何もしてあげられない」という電話しかなかったという。林恵嘉さんは絶望に陥ったこともあり、母親に電話でその苦しみを訴えたこともあった。母親は離婚を勧めたが、受話器を置いた後、林恵嘉さんは「なぜこんな女になってしまったのだろう。結婚した時、すべてを覚悟していたはずなのに」と自分を責めたのだという。(提供/人民網日本語版・翻訳/MZ・編集/TF)

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