黄 文葦 2019年5月2日(木) 23時30分
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平成最後の日、私は家の近くの巣鴨地蔵通商店街に行った。商店街では穏やかな祝賀ムードが漂っていた。元号越しそばが売られて、まるで新年を迎える気分になった。
「令和」の元号が決められた際、ネット上で、「令」は命令の「令」、この文字はちょっと硬い感じではないか、という意見が出てきたらしい。実は、「令」は柔らかい意味をも持つ。中国語では、他人を敬ってその父と母を「令尊」と「令堂」という。他人を敬ってその娘を「令愛」という。「令和」の出典である「万葉集」に書かれている「初春の令月にして、気淑く風和ぐ」の「令月」はおめでたい月だと意味する。また、日本語では、「嘉辰(かしん)令月」という言葉は、まさに美しい時間を形容する。元号のおかげで、改めて漢字の魅力をじっくり味わった。
つまり、「令」は不思議に硬さと柔らかさ、両方の性質をもつ言葉である。「剛柔一体」(ごうじゅういったい)という熟語を思い浮かべる。「剛の中に柔」あるいは「柔の中に剛」である。また、太極拳の極意は中国語で「剛柔相済」(ごうじゅうそうさい)と言われる。「柔よく強を制し、剛よく柔を断つ」という意味である。極端に「剛」ばかりになってもいけないし、極端に「柔」になってもいけない。物事に対し、硬さと柔らかさのバランス感覚が大事。人間も、「剛柔一体」の方が魅力あふれる。延長線上でいうと、男女関係の中にも、「硬い」と「柔らかい」の感情の調和が不可欠である。
かつて、私は自分が書いた文章を「硬い」と「柔らかい」のカテゴリーで分けていた。十数年前、日中関係が危ぶむ時期、私はよく日本政府あるいは中国政府を批判する評論文を書いていた。つまり、硬い文章であった。そして、この数年間、主に日本と中国の文化・教育などの分野の文章を書いている。硬い政治的な力より、民間理解と交流の柔らかい風がもっと大切だと悟った。幸いなことに、過去、硬すぎた日中関係には、現在、日中両国がお互いに柔軟な対応が増えてくるとみられる。やはり、「柔」の姿勢は変幻自在の強さがある。
話を「令和」に戻す。平成最後の日、私は家の近くの巣鴨地蔵通商店街に行った。商店街では穏やかな祝賀ムードが漂っていた。元号越しそばが売られて、まるで新年を迎える気分になった。テレビの取材を受けているおばあちゃんたちを見つけた。「令和は平和を守る意味ですよ。私たちの街も平和です!私たちが守ります!」おばあちゃんたちが笑顔で自信満々の口調で話していた。お年寄りは元気で若々しくなってなによりである。その光景を見たら、誰にも心が洗われるだろう。私は初めて「令和」がもたらす柔らかい雰囲気を実感した。
因みに、私はスピッツの歌が好きである。「渚」という歌の「柔らかい日々」というフレーズが印象的であった。なんとか「令和」から「柔らかい日々」を想像する。「令」は硬さと柔らかさを表現しているけれども、「和」は完全に柔らかい性質を持つ。調和、平和、均衡、争わないことである。そして、「令和」がもたらす柔らかい日々を期待したい。
■筆者プロフィール:黄 文葦
在日中国人作家。日中の大学でマスコミを専攻し、両国のマスコミに従事。十数年間マスコミの現場を経験した後、2009年から留学生教育に携わる仕事に従事。2015年日本のある学校法人の理事に就任。現在、教育・社会・文化領域の課題を中心に、関連のコラムを執筆中。2000年の来日以降、中国語と日本語の言語で執筆すること及び両国の「真実」を相手国に伝えることを模索している。Facebookはこちら「黄文葦の日中楽話」の登録はこちらから
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