<羅針盤>国民統合と国際親善の「象徴」に=令和の天皇・皇后に期待すること―立石信雄オムロン元会長

立石信雄    2019年5月5日(日) 6時0分

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新天皇が即位、元号が「令和」に改元され、日本列島は代替わりの祝賀ムードに包まれた。新聞、テレビなどメディアは「令和」一色。新たに即位した天皇・皇后に多くの国民が期待を寄せている。写真は英国留学時代の天皇陛下(1983年12月、オックスフォード大)。

長期の連休中、新しい天皇陛下が即位、元号が「平成」から「令和」へ改元され、日本列島は代替わりの祝賀ムードに包まれた。5月1日、新聞、テレビなどメディアは「令和」一色。新たに即位した天皇陛下と皇后さまに多くの国民が期待を寄せている。

昭和、平成時代を駆け抜けてきた筆者にとっても、令和時代の到来は感慨深い。メディアが報じるニュース映像などを観て、皇室が国民統合の象徴として敬愛されていることを改めて実感した。

新天皇は5月1日、皇居・宮殿で行われた皇位継承の儀式で「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たす」と即位後初めてのお言葉を述べられた。上皇さまが平成の30年余の間に築き上げた象徴天皇のあり方に敬意と感謝を示し、令和の時代も引き継ぐ決意を明らかにされた。

上皇は、平成の30年余、象徴としての望ましいあり方を日々模索し、その務めを果たすため、全霊を傾けてこられたと思う。大災害の際には被災者のもとへ赴いて慰め、病気による偏見や障害に苦しむ人々に心を寄せられた。新天皇陛下もこうした平成流の公務のありようを受け継ぐお気持ちが強いのであろう。

平成の天皇は「戦争を2度としてはならない」との思いを常に抱かれ、戦没者慰霊の旅を重ねた。広島、長崎、沖縄、サイパン、パラオ、フィリッピンなど内外各地を訪れたほか、天皇として史上初の中国訪問も実現した。ただ1931年の満州事変に始まる日中戦争の侵略の現場である南京、重慶、旧満州地域や併合した朝鮮半島などには行っておらず、新天皇に引き継がれた。

今年から戦没者追悼式には新天皇、新皇后が出席され、戦争体験のない世代に継承される。新しい時代の「終戦の日」がつくられていくことであろう。

新天皇は昨年9月5日、フランス訪問を前にした会見で、次世代の天皇像を問われ、「各国の社会制度や慣習、文化的な背景などを踏まえながら互いに良い点を学び合っていくことが大切だと思う」と言明。雅子さまに対し、「国際親善増進のための公務にもできるだけ関わっていってくれると思う。外国で暮らした経験、あるいは仕事で外交に携わってきたことは必ず役に立つ」と期待を込められた。

筆者は、会合などで皇太子時代の新天皇にお会いしたことがあるが、品格や伝統に裏付けられた立ち居振る舞いで外国からの賓客と交流を深められていた。若き日の英国留学では多くの国の人たちと交流し、平和主義と民族多様性を尊重する考えを学ばれたと聞く。

国際親善を目的とした皇室外交はプロの外交官ができることをはるかにしのぐ役割を果たされていると思う。新天皇皇后陛下には、平成の天皇皇后の「国民とともに歩む」道を引き継がれ、これまで通りのスタンスで国際親善をはじめとする公務に努めていただきたい。

<羅針盤篇40>

■筆者プロフィール:立石信雄

1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長など歴任。SAM「The Taylor Key Award」受賞。同志社大名誉文化博士。中国・北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。SAM(日本経営近代化協会)名誉会長。エッセイスト。

■筆者プロフィール:立石信雄

1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長など歴任。「マネジメントのノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)『The Taylor Key Award』受賞。同志社大名誉文化博士。中国・北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。SAM(日本経営近代化協会)名誉会長。エッセイスト。

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