<中国旅游>中国人の愛する花・牡丹の都―洛陽牡丹文化祭り

Record China    2013年4月6日(土) 16時21分

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「百花の王」と称される牡丹は、富貴吉祥と繁栄隆盛の意味が込められた花として、古くから中国人に愛されてきた。「牡丹の都」と呼ばれる河南省洛陽市では、毎年4月の初めから1カ月にわたって牡丹文化祭りが開催される。

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2013年4月、「百花の王」と称される牡丹は、原産地の中国ではもともと薬用として栽培されていた。牡丹栽培の歴史は、遅くとも西暦400年頃の魏晋南北朝に遡(さかのぼ)ることができる。日本に牡丹を持ち込んだのは、奈良時代の遣唐使・空海だという。中国でもとくに、河南省の古都・洛陽市の牡丹は花が大きく、色が鮮やかなことで名高い。そのため、洛陽は「牡丹の都」として人々に知られている。

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牡丹に関しては、中国の則天武后(そくてんぶこう)にまつわる逸話が言い伝えられている。雪の降るある日、皇帝の御狩場で遊んでいた則天武后は酒興に乗じ、あらゆる花が一斉に咲いてほしいと、「明朝遊上苑、火速報春知,花需連夜開、莫待曉風催」という勅令を書いて焼いた。花々はそれを逆らうことが出来ず、一晩のうちに花を咲かせたが、牡丹だけは断固として咲かなかった。激怒した則天武后は牡丹を非難し、当時は第二の都だった洛陽に移植した。思いがけないことに、洛陽に追放された牡丹はますます綺麗になり、こうして洛陽の牡丹は天下一品の誉れを得るようになった。

「洛陽の牡丹、天下に冠たり」、毎年暖かい春の足音が近づいてくるにつれて、牡丹の花も争って自らの魅力を人々に見せようとする。春に牡丹の花を鑑賞することは、洛陽に暮らす人々の伝統的な風俗として今日まで続いてきた。「花開花落二十日、一城之人皆若狂」(花が咲くから散るまで二十日、一城の人は皆狂うが如し)という白居易の詩句は、洛陽の町中総出で牡丹を愛でる当時の盛況を描き出している。

毎年4月の初め、牡丹文化祭りが洛陽で開催される。今年は4月1日から5月5日まで。東周王城遺跡に位置する王城公園がその主会場となる。鮮やかな赤、みやびやかな白、尊い黄色、気高い紫、珍しい緑、超然とした黒、色とりどりの牡丹が咲き乱れ、数々の観客を魅了している。開催期間中に音楽会などさまざまな文化イベントも行われるので、文化・芸術を愛でる人は是非お見逃しのないように。

※本記事は楽旅中国(らくたびチャイナ)の特別提供。楽旅中国は、中国青年旅行社(CYTS)傘下で展開する中国旅行専門の日本語オンラインサービスです。

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