呂 厳 2019年6月29日(土) 21時30分
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千葉県にあるゴルフ場で日米首脳のツーショット写真が撮影されたちょうどその頃、中国・東莞市のハンドバッグ工場では従業員の李涛さんが慣れた手つきでミシンを操っていた。写真はヤンゴンにある工業団地内の建設現場。
千葉県にある茂原カントリー倶楽部で満面の笑みを浮かべる日米首脳のツーショット写真が撮影されたちょうどその頃、中国・東莞市(広東省)の順[王奇]ハンドバッグ工場では従業員の李涛さんが慣れた手つきでミシンを操り、2枚の革をしっかりと縫い合わせていた。李さんは四川省自貢市出身だ。中学卒業後、すぐに東莞で働き始め、今では工場の全作業を1人でこなせるようになった。そんな彼の最大の願いは若いうちにたくさん稼ぎ、家族に良い生活を送らせることだ。彼も米中貿易戦争のことを知ってはいるが、「中国は米国以外の国々と取引すればいい」と考えている。
この23歳の若者が自身の仕事に及ぶ貿易戦争の影響を楽観視している頃、彼の雇い主の邵黎さんは40度を超える高温の中、ミャンマー・ヤンゴンにある工業団地内の建設現場を視察していた。ミャンマーの労働者が男女を問わずサンダルを履いていることに邵さんは不安を覚える。邵さんは「仕事が生活の全てではない。趣味で充実した時間を過ごすことも必要」と考えるが、工場は今、生産コストの拡大に直面していて、最近の追加関税はまさに災いの上乗せだ。彼の理知は「今の解決方法は海外での工場建設だけだ」と自身に告げる。その一方で、失敗すればやり直しは不可能との思いも浮かぶ。
部下とともに発電機を買いに行く邵さんを乗せたタクシー運転手のZaw Lattさんは、一行に最も良いレートで取引する両替所を教えた。1975年生まれのZaw Lattさんの故郷はヤンゴンの近くにある農村だ。
Zaw Lattさんは毎日、ヤンゴンの空港を拠点に仕事をする。彼の妻は空港付近にある飲食店の従業員だ。ヤンゴンを訪れる中国の企業経営者が増えていることを敏感に感じ取ったZaw Lattさんは「この先、中国の企業がたくさんのミャンマー人を必要とするから」と14歳になる娘に英語だけでなく中国語も学ぶよう繰り返し勧めるが、娘は父の言葉に耳を貸さない。彼女の視線の先にあるのは部屋の壁に貼られた韓国の人気グループ・BTS(防弾少年団)の写真だ。
私とZaw Lattさんは同い年だ。この共通点から、私はミャンマー滞在中、彼の車に乗り続けた。ヤンゴンでの生活に疲れ果てたという彼は、「機会があれば、あなたを両親が住む農村に連れて行ってあげたい。そこはとてものどかな場所です」と話す。さらに「故郷では日が昇ると仕事、日が沈むと休息という生活」と付け加えたが、私は返事をしなかった。なぜなら、ミャンマーが今、工業現代化の洗礼をまさに受けているところということを私は限りある知識の中で知っているからだ。一度、現代化された環境に身を置くと以前の農耕生活に戻ることはできない。それは引き返せない川を渡るようなものだ。
■筆者プロフィール:呂 厳
4人家族の長男として文化大革命終了直前の中国江蘇省に生まれる。大学卒業まで日本と全く縁のない生活を過ごす。23歳の時に急な事情で来日し、日本の大学院を出たあと、そのまま日本企業に就職。メインはコンサルティング業だが、さまざまな業者の中国事業展開のコーディネートも行っている。1年のうち半分は中国に滞在するほど、日本と中国を行き来している。興味は映画鑑賞。好きな日本映画は小津安二郎監督の『晩春』、今村昌平監督の『楢山節考』など。
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