<コラム>地球文明の国になれるか日本 その10

石川希理    2020年4月29日(水) 17時0分

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日本でも見えないうちに経済格差が大きくなっていると前回書いた。アメリカや中国と言った大国ほどの差ではない。ただ、「見えない」のは、実は格差の大きさの差より、たちが悪い。写真は大阪。

日本でも見えないうちに経済格差が大きくなっていると前回書いた。アメリカや中国と言った大国ほどの差ではない。ただ、「見えない」のは、実は格差の大きさの差より、たちが悪い。見えていれば、国民に怒りがわくだろう。

いうまでもなく経済格差は、個人の能力だけで起きるものではない。例えば、何かアイディア商品を思いついて製造・宣伝して売り、利益を得るにしても、それはある程度安定した社会基盤があるからだ。製造する機械、会社、ある程度の教育があり、訓練された従業員、宣伝媒体、安全な商品・代金の受け渡しの機構、搬送するトラック、整備された道路。さらには社会が機能する上で不可欠な通信・電気などインフラ。トラブル時の警察・司法制度…。国民全員の協力の上で作られた歴史的社会組織・機構の上で、安価にそれを利用できるからこそ利益が上がる。

本人自身も、社会制度や教育制度のおかげで、文字が読め、専門的知識を学んだ病気の治療を受けているのだ。自分独りの才覚で大きな利益を得られるのが人間社会ではない。利益が利益を生むというのも社会的仕組みのおかげなのだ。それを忘れてしまうと「オレの能力」という錯覚に陥る。企業の社会性も、利益の社会還元も忘却する。

因みに、『此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す』 小部経典『自説経』というのは釈迦の真理-総ては無常・縁起する-の根幹だが、縁起は個人的な或いは人間関係の話、事柄だけではない。総ての社会制度・全存在に対しての名言だ。難しくは『関係性のある生起』などともいう。

国家指導者やリーダーは、常にそれを念頭に置いて「全体の利益・国家の発展があってこそ、個人の能力が生きる」という啓発をしなければならない。ところが、国家指導者やリーダーが劣化すると、「地位も金もオレだけの能力の賜だ」と錯覚して、社会還元を忘却してしまう。

東大生の家庭の平均年収が、1000万を超えたかどうかという議論がなされて最早、2、30年以上だろうか。教育格差が経済格差になり、経済格差が教育格差になるという負のサイクルが、我が国でも回り出しているのだ。エリート・キャリアの劣化が問われているのは、決して、他国の問題ではなく、隠れているだけに始末が悪い現代日本である。

さて、経済は社会の下部構造である。因みに「下部構造」とは古典的なマルクスの史的唯物論で、説かれている。物質的な生産関係、つまり経済が社会の土台であって、一義的に社

会的・政治的な制度、思想・芸術などの上部構造を規定するという考えである。

ただ、現代は単純にそうは考えられない。また下手をすると上部の人間の作った制度構造や、思想が、下部をひっくり返しかねない複雑な社会に我々は突入している。ただ、「下部構造が…」というのは、基本的概念としては説明に利用しやすい。

元に戻って、上部構造の人間の意識が「能力主義錯覚」に陥っている社会では、下部構造が硬直化していく。総てが総てに関係し支えているという意識がなくなるのだから、経済も自己中心にならざるを得ない。

例えば、GAFAが市場支配をすると、その弊害は自由・競争の停止、富の偏在、社会の不安定化を招く。人類の経済史は、独占-打破-市場の拡大-独占-打破の繰り返しだ。欧米の規制は激しくなりだしている。持続的な発展を目指す取り組みも緒に就いている。

我が国の場合は、その辺りの規制は残念ながら遅れている。といっても、強引な有様は余り見られない。「携帯の料金を4割引き下げろ」と言うのは菅官房長官の発言だが、企業とのあうんの呼吸が見られる。

実は日本は自由主義・資本主義陣営に属しながら「社会主義国」に近いといわれる。国民皆保険・生活保護などのセーフティネットなどを見ればよくわかる。「日本には乞食はいないの!?」と驚かれるが、憲法に「健康で文化的な最低限度の生活が保障」されていて、生活保護制度などがあるために「乞食」は許されない。取り締まりの対象にさえなる。時折、ホームレスなどで見かけるのは、保護しても「自由」を求めて脱出するからである。まあ、何らかの改善が望まれるが…。

日本の格差が比較的小さく、様々な出来事にも大騒ぎせず、国民がまとまっているのは、「和」「無常」「思いやり」といった儒教や仏教の精神が、災害の多発する国土・歴史と相まって、息づいているからであろう。このことは前に述べたが、前記のようにそれが破れつつあるのも事実である。

日本人の作りあげてきた精神性は、形而上学的な事象に留まらず、上部構造の社会制度や、さらには経済的下部構造をも飲み込んできた。まさに、世界的な孤立文明である。ただ、動物的本能に支配された地球人類の転換点に立ってみると、未来志向の文明ではないかと私は考えている。

明治維新以来、帝国主義、軍閥、特高や軍部のみならずに蔓延する暴力、人権侵害、女性蔑視。そしてアジア侵略、結果として灰燼に帰した国土。戦後は、押しつけられたとは言えそれを取り入れて発展した民主主義・人権尊重・「日本の奇跡」といわれる経済の高度成長。その中での「水俣水銀中毒」「イタイイタイ病」などの公害。大気は汚染され、河川も海も汚れ果てた。

それを戦後75年で乗り越えてきた。阪神淡路大震災や世界初の都市テロのオウム真理教事件、東日本大震災・津波・メルトダウンも、いま格闘の最中である。

「安かろう悪かろう」という日本製品は、いまや高品質の代名詞である。農村主体の封建制度的形態は解消され、教育程度は極めて高くなり、労働集約的重厚長大(鉄や造船)産業から、高付加価値産業構造への転換が進みつつある。

真面目、控えめ、団結といった日本人の性質や精神性は、極めて優れたものだ。「嘘をつくな」というのはお釈迦様の五戒の一つだが、これも素晴らしい。

物事を針小棒大に、虚実混ぜ合わせて、声高に言う国もあるが、それに対して慌てる必要はない。淡々と冷静に対処していくことである。外交力のみならず、日本の政治力・国民の総合力が世界の範となると考えている。

ただ、恐れるのは、劣化しつつある官僚制や政治、教育制度、そして経済も含めて総てに漂う閉塞感である。明治維新の何倍かの大改革の必要性・必然性が高まっているように思う。

■筆者プロフィール:石川希理

1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小学校・飛松中学校・星陵高校・神戸学院大学・仏教大学卒です。同窓生いるかな?小説・童話の創作と、善く死ぬために仏教の勉強と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文芸祭りの選者(それぞれ随筆と児童文学)をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時折友人達などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時折禁酒(笑)。中学教員から県や市の教育行政職、大学の準教授・非常勤講師などをしてきました。児童文学のアンソロジー単行本数冊。小説の自家版文庫本など。「童話絵本の読み方とか、子どもへの与え方」「自分史の書き方」「人権問題」「瞑想・仏教」などの講演会をしてきました。

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