Record China 2019年12月30日(月) 11時10分
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24日、文匯報は「宮崎駿から新海誠まで、日本のアニメ映画に何が起こっているのか」と題した記事で、日本のアニメ映画作品の変容とその背景を紹介した。
2019年12月24日、文匯報は「宮崎駿から新海誠まで、日本のアニメ映画に何が起こっているのか」と題した記事で、日本のアニメ映画作品の変容とその背景を紹介した。筆者は河北師範大学講師の高媛媛(ガオ・ユエンユエン)氏。
高氏はまず、日本の人気アニメ監督・新海誠監督の新作『天気の子』が、日本で興行収入140億円を突破し2019年のランキング1位になったこと、第92回アカデミー賞授賞式の「国際長編映画賞」ノミネート候補作品の日本代表に選ばれたことを紹介。また、中国でも同作が19年11月に公開されると累計興行収入が2億8700万元(約44億7900万円)を超え、映画ファンから高く評価されていることを説明した。
続いて、「同作が踏襲しているのは、新海監督の作品に一貫している“セカイ系”の創作スタイルだ」と指摘。主に日本のサブカルチャー分野で用いられる“セカイ系”という概念について、「評論家の東浩紀氏が定義したもので、主人公とヒロインを中心とした小さな関係性の問題が、国家や社会といった具体的な中間項を挟むことなく“世界の危機”や“この世の終わり”といった抽象的な大問題に直結する作品群のことを指す」と説明した。
その上で、「日本で今最も代表的なアニメ監督である新海監督の創作スタイルは、宮崎駿監督時代の壮大な物語描写とは明らかに異なっている」と指摘。その理由として、「宮崎監督が生まれたのは日本が戦争で大きな傷を負った時代であり、宮崎監督は少年時代に戦争を目の当たりにしたことで、その後一生にわたって反戦の理念と壮大な物語の世界観、そして前向きなメッセージを発信する力を持ち続けることになった。それと対照的に、新海監督や細田守監督、石原立也監督、湯浅政明監督といった若い世代の監督は考え方がより現代的で、若者の敏感な心理を理解している。若者の特性もよりはっきりと捉えることができるため、アニメ作品を通して彼らと“共鳴”することができるのだ」と説明した。
さらに、『天気の子』を例に“セカイ系”アニメ映画の特徴を説明。同作のあらすじは、家出をして東京へとやってきた高校生の帆高と、「一時的な晴天を呼ぶ」という特殊能力を持つ陽菜が生活費を捻出するために“晴れ女”サービスを展開するものの、のちに能力を使いすぎた陽菜は人柱として犠牲になることを選び、最終的には帆高が陽菜を救い出すことでその後東京では雨が降り止まなくなるという内容だ。
高氏はこのあらすじについて、「そこから宮崎駿作品との違いがはっきりと見て取れる」と指摘。『天気の子』は“利己的”で、他人を犠牲にすることで自己の“反・集団主義”を完成させるという結末は同作が最も批判された要因の一つだ。しかし、これは同時に“セカイ系”映画の明確な特徴でもある。“若者の代弁者”である新海監督は、今の若者の心理的な特徴に順応しているが、これは日本の伝統的な思想から見ると、一つのブレイクスルーであり挑戦なのだ」と論じた。
また、新海監督の他の作品にも言及。「『天気の子』や『君の名は。』はどちらも、故郷を離れた少年が大都市で体験した出来事を物語のベースにしている。『秒速5センチメートル』は、三つの独立した物語が東京、鹿児島、栃木といった場所で交錯していく。『言の葉の庭』では授業をサボっていた少年が“桃源郷”のような日本庭園でとある女性と出会う。これらの映画では、いずれも場所や環境の変化がある人物の心理や行動を変えていく。そこで重点的に映し出されているのは、ある一個人の物語であり、感情だ」とした。
高氏はここから、日本で“セカイ系”アニメ映画が誕生した背景を説明。「2000年から連載が始まった高橋しん氏による漫画『最終兵器彼女』を筆頭に、新海監督の『ほしのこえ』、秋山瑞人監督の『イリヤの声、UFOの夏』、高橋弥七郎氏原作の『灼眼のシャナ』に至る作品群が“セカイ系”の幕を開いた」と指摘。「それに加え、こうした潮流が生まれた背景には当時の日本社会が密接に関わっている」とした。
具体的に、「1990年代にバブルがはじけた後、日本では次々に問題が発生した。95年に阪神淡路大震災やオウム真理教事件が起こると、社会の変化に適応できなくなった若者たちは国家や社会に対して無力感を抱き、現実からの逃避を求めた。2000年ごろの平成不況の時期に差し掛かると、経済が疲弊し、社会の発展が停滞したことから、大量のフリーターやニート、オタクが生まれた。就職氷河期を過ごした若者は、挑戦的で自信に満ちた昭和の若者とは違って辛抱強く、欲がない。その時代には社会全体に大きな精神的空洞が生まれていたのだ」とした。
続けて、「精神的な空洞が生まれたことに加えて、インターネットが生活に便利さをもたらしたことにより、当時の日本の若者は複雑な社会関係や人間関係を極力単純化しようとするようになった。彼らは自ら、孤立することや都会を離れることを選び、田舎での暮らしに戻っていった。このような、自己と世界を並行関係に置くような態度こそが、新たに登場した“セカイ系”作品を社会に根付かせた」と論じた。
さらに、「ここ数年になり、日本社会にも変化が生じた。しかし、インターネットの急速な発展と就職などによるストレスから、若者が社会の責任から逃れて自分の世界の中に閉じこもるという状況も依然として存在する。それと同時期に、“セカイ系”作品はすでに『現実から逃避し、責任感を捨てる。生きることの意味を単純化し、個人の内面の感覚に関心を注ぐ』という日本の若者の世界観と価値観を形成していた。現実に対する絶望感から、日本の若者は個人の生活の細部に注意を向けるようになったのだ。日本の大ヒット曲『世界に一つだけの花』の歌詞も、そういった心理を如実に表しているだろう」とした。
続いて、新海監督以外の監督による“セカイ系”作品にも言及。「日本のアニメ映画の中で、厳格な“セカイ系”作品は数としては多くないが、その影響力は巨大だ。多くのアニメ監督がこの陣営に属しているが、比較的影響力の大きい作品としては、『サマーウォーズ』、『海獣の子供』、『涼宮ハルヒの消失』や『ハローワールド』などが挙げられる。これらの映画はテーマや作風こそ異なるものの、どれも極度に自由な時間感覚や歴史観のもとで、歴史を反映しながらも当時の状況を映し出し、さらには未来の在り方を示しているという点について共通している」とした。
さらに、“セカイ系”アニメ作品の中に見られるシンボルが持つ意味に言及。「『天気の子』で、主人公の帆高は枕元にいつも『ライ麦畑でつかまえて』という小説を置いていた。サリンジャーによる同書は若者の怒りと反発を主題にしていると同時に、(作中では)外来文化を代表している。同書の内容と同じく、今の日本にも物質的な利益に対する極度の熱中や、精神からの乖離(かいり)が見られる。道徳が変化し人々が本質的なものを失っている中で、新海監督は帆高が愛のために果敢に行動する姿を通して観客に“純真さ”を訴えたかったのだ」とした。
高氏はまた、「現時点における“セカイ系”作品はすでにSFやファンタジーと密接に結びついている」「新海監督は美しいシーンを通しておとぎ話のような男女のラブストーリーを描き出している」などとしつつも、「おとぎ話のようなストーリーは一方で現実の生活と結びついている。新海監督作品の多くは実際に存在する場所をベースにしているため、作中に登場した場所は流行の“聖地巡礼スポット”と化している。二次元の世界と現実が密接に関連し、完璧なまでに融合しているのだ」と指摘した。(翻訳・編集/岩谷)
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