中国版の「深夜食堂」が全くウケないその訳は?―中国メディア

人民網日本語版    2019年9月4日(水) 21時50分

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中国映画・ドラマではリメーク作品ゆえに却って失敗するということもしばしばだが、中国版「深夜食堂」の「失敗」は、リメークの過程で問題があったというよりは、食文化やナイトライフ、情感といった面で中国と日本には大きな差があるからと見た方がいいだろう。

香港の俳優レオン・カーフェイ(梁家輝)が監督、主演を務める映画「深夜食堂」が8月30日に封切られた。その後の映画レビューサイト・豆瓣における評価は5.5ポイントと伸び悩んでいるが、2017年にホアン・レイ(黄磊)が主演を務めたドラマ版の「深夜食堂」の2.8ポイントと比べると少しはましと言えるかもしれない。中国映画・ドラマではリメーク作品ゆえに却って失敗するということもしばしばだが、中国版「深夜食堂」の「失敗」は、リメークの過程で問題があったというよりは、食文化やナイトライフ、情感といった面で中国と日本には大きな差があるからと見た方がいいだろう。中国青年報が伝えた。

「食」に対する見方は、中国と日本で異なる。中国人は、おいしいものを食べることを、楽しみとみなし、その態度はある意味「熱狂的」とさえ言える。「民は食を以て天と為す」や「人が鉄なら、飯は鋼(腹が減っては戦は出来ぬ)」、「串刺し肉さえあれば、何も問題にはならない」などの言葉が中国にあるように、その社会的心理やポップカルチャーには、「グルメだけには背いてはならない」という思いが隠されている。そして、過去に貧しさを経験した中国人は、「食」を一種の信仰の対象のような目で見ており、それをテーマにした映画やドラマが、その歴史や文化のレールから外れていたとすれば、物足らなさを感じさせることになる。

しかし原作の「深夜食堂」が伝えているのは、グルメを楽しむことではなく、その背後にある孤独やさみしさだ。中国人にとって、夜ご飯というのは非常に重要な位置を占め、テーブルいっぱいに料理をたくさん並べて食べるのを好む。そして、たとえ深夜に食べる夜食であっても、友達と一緒にテーブルを囲み、ワイワイと賑やかに食べるのを好む。日本人は、料理をたくさん並べることで、何か快感のようなものを感じようとすることはほとんどない。日本版「深夜食堂」で見ることができるのは、ご飯一杯、麺料理一杯があれば、心の中にある患い事を内に秘めておくことができるという情景で、グルメと主役の性格がうまくマッチしている。

中国で日本版「深夜食堂」が大人気となったのは、中国人が抱いている日本人の生活に対するイメージがそこでうまく表現されているからだ。「深夜食堂」は、小説家の村上春樹や川端康成、三島由紀夫らが描く日本以外の日本を映し出すと同時に、宮崎駿や手塚治虫、鳥山明などのアニメ界の巨匠が描いてこなかった日本の裏側を描いている。「深夜食堂」が描く主人公からは、心に傷を負い、さみしさを感じていることを感じ取ることができ、そのような感情は、中国の都市で生活している人が実際に感じているものの、誰にも言いたくない感情と一致する。「深夜食堂」は、そのような人にとって、感情のはけ口となり、他の人もさみしさを感じているのを見て、共鳴を覚え、自分をなぐさめることができる。

では、ホアン・レイが主演の中国版ドラマやレオン・カーフェイがメガホンを取った中国版映画は、なぜウケなかったのだろうか?それにはまず売れる映画・ドラマを作るために何が必要かを考えなければならないだろう。

見どころやセールスポイントがある作品というのは、視聴者に今までにないフレッシュな体験を提供できる作品だ。新しいストーリーが常に模索されているからこそ、映画・ドラマ作品はどれだけ歴史を重ねても魅力を保つことができ、現在までその衰えをみせていないのだ。しかし、中国版「深夜食堂」は、中国の多くの人にとってすでに馴染みのある作品のリメーク版で、各シーンや登場人物のキャラクターは原作を意識しすぎており、それを見た視聴者はまずマンネリを感じてしまう。また、中国人の役者であるにもかかわらず、中国人らしさがなく、わざとらしさやいかにも「作っている」感を醸し出している。リメーク版であるため、ストーリーのローカライズには取り組んでいるものの、表面的な部分に新鮮味はなく、マンネリを感じさせてしまっているため、せっかくローカライズされているストーリーに、視聴者が興味を持つことができなくなってしまっている。

夜の中国の都市には、どんなドラマがあるのだろうか?「早朝4時の北京」や「北京で、仮面をかぶって生活している2000万人」などの大きな話題となった文章、さらに、運転代行サービスの運転手と客をめぐる物語を描いた映画「DRIVING FOR YOU ALL NIGHT」などは、都市に住む人々の姿や様子を描いている。中国の深夜食堂にも、酔いが回っている人、家に帰りたくない人、悩みを抱えている人がたくさんいる。ただ、それら物語を、日本の作品「深夜食堂」を使って語るというのは適切ではない。表面的なものにこだわったり、何かをコピーしたりするというやり方よりも、都市の人々が深夜にさらけ出している本当の状態をそのまま伝えるほうがはるかに良いだろう。

現在、中国の都市は、「ナイトタイムエコノミー」や「深夜食堂」などに対する注目度が非常に高まっており、政府の公文書にさえこうしたワードが登場するようになっている。ドラマというのは、往往にして、人々が自ら集まってくる過程で起こるもので、「深夜食堂」だけでは、たくさんのドラマが起きることはない。それだけでは、夜間のさまざまな人のさまざまな姿を描くことは決してできない。そのため、「深夜食堂」のリメイク版製作は、レオン・カーフェイの中国版映画製作で終わりにした方がいい。映画・ドラマ関係者は、夜の「食堂」から抜け出し、もっとおもしろい物語を発掘しなければならない。(提供/人民網日本語版・編集/KN)

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