如月隼人 2019年9月27日(金) 14時30分
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1955年9月27日、中国では軍人10人に「元帥」の称号が、10人に「大将」の階級が与えられた。その後の追加はない。資料写真。
1955年9月27日、中国では軍人10人に「元帥」の称号が、10人に「大将」の階級が授与された。その後、「元帥」および「大将」の追加授与の事例はない。
中国人民解放軍が階級制度を発足させたのは1955年だった。その際に、第一次国共内戦、抗日戦争、第二次国共内戦に大きな貢献があったとして、朱徳、彭徳懐、林彪、劉伯承、賀龍、陳毅、羅栄桓、徐向前、聶栄臻、葉剣英の軍人10人に元帥が任じられた。同順列は、軍および共産党内の序列を反映したものと考えてよい。「元帥」の階級授与の命令書は、毛沢東の名義だった。
同時に、軍人10人に「大将」の階級が与えられた。「大将」の場合には、陸軍軍人7人は単に「大将」とされたが、陸軍以外に所属する軍人3人が、それぞれ「海軍大将」、「公安軍大将」「装甲兵大将」に任じられた。内訳は、粟裕、徐海東(海軍大将)、黄克誠、陳賡、譚政、蕭勁光、張雲逸、羅瑞卿(公安大将)、王樹声、許光達(装甲兵大将)だった。公安軍は後に陸軍の一部門になったため、羅瑞卿の階級は「公安大将」から「大将」に変更された。
いずれも「元帥」と同様に「第一次国共内戦、抗日戦争、第二次国共内戦に大きな貢献があった」とされた。授与の命令書は、周恩来首相の名義だった。
1955年の階級制度制では「大元帥」も設けられが、授与される予定の毛沢東が辞退したため、「空位」となった。その他にも、「元帥」に選ばれた周恩来、劉少奇、トウ小平、「大将」に選ばれた李先念、譚震林、トウ子恢、張鼎丞は、いずれも辞退したという。
1955年の軍階級制度では、大将の下に「上将」「中将」「少将」が置かれた。「上将」は日本での一般的な通念の「大将」に相当する。「上将」の場合、1955年には55人が任じられ、その後に若干名の追加があった。
中国では1965年に、軍の階級制度が廃止された。「身分制度は封建的だ」との、左翼的思想の反映だったとされる。しかし、軍内に階級制度が存在しないために指揮/命令系統に混乱が発生する場合があるとの弊害も出た。そのために、1988年には階級制度が復活した。
しかし1988年からの制度では、「元帥」と「大将」の階級は設けられなかった。「元帥」と「大将」は1955年以降、65年まで追加がなく、その後は撤廃されたので、それぞれ10人ずつで固定されることになった。そのため、「元帥」を「開国元帥」、「大将」を「開国大将」と呼ぶことも多い。
【1955年のその他の出来事】
・トヨタ・クラウンが発売(1月)
・日本漁船が尖閣諸島近海で中華民国旗掲げる船に襲われ2人射殺、4人行方不明(3月)
・ラジオ東京テレビ(TBSテレビ)開局(4月)
・英国のチャーチル首相が引退、後任はイーデン首相(4月)
・インドネシア・バンドンでアジア・アフリカ会議(4月)
・ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が主権回復(5)
・岩波書店が広辞苑(初版)を発行(5月)
・米国カリフォルニア州アナハイムでディズニーランド開園(7月)
・日本住宅公団が発足(7月)
・集英社が少女漫画雑誌「りぼん」を創刊(8月)
・東京通信工業(ソニー)が日本初のトランジスタラジオの展示即売会(8月)
・日本がGATTに加盟(9月)
・米国俳優のジェームズ・ディーンが事故死(9月)
・日本社会党が再統一(10月)
・ドイツ連邦軍が発足(11月)
■筆者プロフィール:如月隼人
1958年生まれ、東京出身。東京大学教養学部基礎科学科卒。日本では数学とその他の科学分野を勉強し、その後は北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。中国については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結局は得」が信条。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。 Facebookはこちら ※フォローの際はメッセージ付きでお願いいたします。 ブログはこちら
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