Record China 2013年9月20日(金) 12時8分
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19日、任天堂前社長で、同社を世界的なゲーム機メーカーに育てた山内溥氏が、肺炎のため京都市内の病院で亡くなった。中国版ツイッターでは、その死を悼む声が多数寄せられた。写真は天津で4月にオープンした「スーパーマリオ」をテーマにしたレストラン。
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2013年9月19日、任天堂前社長で、同社を世界的なゲーム機メーカーに育てた山内溥氏が、肺炎のため京都市内の病院で亡くなった。85歳だった。
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山内氏は1949年、カルタやトランプを製造していた家業を継ぎ、丸福(現・任天堂)の社長に就任した。1983年に発売された家庭用ゲーム機・ファミリーコンピュータ(ファミコン)が大ヒット。「ゲームボーイ」「NINTENDO64」などのゲーム機や「スーパーマリオブラザーズ」などの人気ソフトも生み出し、任天堂を世界的な企業に育て上げた。
また、1992年には個人として米大リーグのシアトル・マリナーズに出資し、大リーグ球団のオーナーに就任したことでも話題を集めた。
この訃報は、中国ネットユーザーの間でも話題となり、「中国版ツイッター」と呼ばれる簡易投稿サイトには、その死を悼むコメントが多数寄せられている。以下は寄せられたコメントの一部。
「さようなら。私たちの生活を変えてくれた人」
「中国のパクリの歴史はファミコンから始まった」
「安らかに。ファミコンは私に最も影響を与えたゲーム機だった」
「たくさんの楽しみを与えてくれてありがとうございます」
「私たちのために無限の楽しみを創造してくれた山内さんに感謝」
「子どものころに良い思い出をたくさんもらった。どうぞ安らかに」
「彼こそ本当のゲーム界の父だ」
「山内さんが天に昇って、神様もゲームで遊べるようになるね」
「悪い知らせだ。日本ゲーム界の父が亡くなった。きっと天国にも任天堂ができるだろう」
「スーパーマリオは永遠に語り継がれる」
「Bダッシュ!Aジャンプ!マリオにはたくさんの命があったのに」
「80年代生まれの子ども時代について言えば、ファミコンはiPhone、任天堂はアップル、山内氏はジョブズのような存在だった」(翻訳・編集/北田)
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