映画『耳をすませば』、中国人が感じる魅力とは?―中国メディア

Record China    2020年1月24日(金) 17時0分

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中国メディアの光明網は20日、スタジオジブリの映画『耳をすませば』を高く評価する記事を掲載した。資料写真。

中国メディアの光明網は20日、スタジオジブリの映画『耳をすませば』を高く評価する記事を掲載した。著者は中国動漫集団発展研究部の宋磊(ソン・レイ)主任。中国人の視点から見た同作の魅力が存分に語られている。以下はその概要。

最近、名作アニメ『耳をすませば』が実写化されるという情報が流れ、多くの映画ファンを興奮させた。当時、どれだけの人がこの作品を見て、人生の歩むべき方向を見つけただろうか。私もその中の一人だ。あれから20年(日本では1995年公開)、この作品は主題歌『カントリーロード』と共に、いつまでも忘れられない印象を残している。

この作品が描くのは、「道(ロード)」の物語だ。作中では、オープニングからラストまで、主人公の月島雫(つきしま・しずく)が道を歩く描画が非常に多い。冒頭の夜の街、通学路、ネコを追いかけた小道、すべてが順調な時の晴れ晴れとした道、戸惑い困惑していた時の雨の道、期待と疲労が共存した坂道、一人で歩いた成長の道から二人で協力し奮闘して進んだ道、そして実際の道から人生の道まで…。耳に心地よい『カントリーロード』の曲と相まって、人々に深い共鳴を感じさせる。

雫と天沢聖司(あまさわ・せいじ)は、何度も会ううちに互いの人生の軌道を変えていく。作中で二人が顔を合わせるたび、見ているこちらは心がウキウキする。決して情熱的で心に深く刻まれるような愛ではない。壮大で奇妙な世界観もない。超能力者や野心家の対決もない。強力なライバルすらいない。主人公がしているのは、昨日より努力し、生活を大切にし、互いを大事にすることだけ。素朴で派手さはないが、琴線に触れる。これこそが、生活の音。本当に耳を傾けるべき音なのだ。

この作品からは、脚本を手掛けた宮崎駿氏のスタイルが明確に感じられる。原作の少女漫画は青春恋愛ストーリーだが、宮崎氏はそれを少女の成長の物語へと書き換えた。宮崎氏は月島雫を通して、日本社会の女性に自らの道を歩むことを後押ししたとも思える。

この作品には純粋さと正のエネルギーが満ちあふれている。近所の人とのあいさつ、雫がおじいさん(聖司の祖父)の脚立を押さえたこと、そうした細かな「礼」と「徳」が数多く描かれており、称賛せずにはいられない。

月島家は普通のサラリーマン家庭で、家も広くはない。父親は雫に自分が思う通りにやることを認める。父と娘の間には素晴らしいコミュニケーションが存在する。作中では読書や音楽など、心を豊かにするものが描かれており、若者に自分が好きなことを見つけること、勇気をもって理想を追いかけることを勧め、励ましている。

さらに、職人の精神を称えている。一つのことを極限まで突き詰める姿勢だ。これは日本の一種の文化的な特徴である。聖司のバイオリン作りにかける気持ちに影響された雫は、同じような努力とこだわりで創作(物語の執筆)へと向かう。この作品は制作の過程にも匠(たくみ)の精神も体現されている。例えば、聖司のバイオリンに合わせて雫が歌うシーンでは、なんと実際に演奏家にバイオリンを演奏してもらってそれを模写したというのだ。まさに、作中のセリフにあるように、粗削りな原石でも突き詰めれば磨かれ、宝石になるということだ。

「原石」は、本作で重要なキーワードだ。おじいさんはエメラルドの原石(緑柱石)を雫にプレゼントする。これは象徴的な意味を持つシーンだ。宮崎氏は若者たちに、この原石のように未来の可能性が無限であることを、どんなに望んでいることだろう。(翻訳・編集/北田

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