石川希理 2020年3月4日(水) 20時40分
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中国の人はもちろんだが、欧米でも地震に慣れていない人は少なくない。日本でも直接激烈な揺れを経験した人以外は、情報は多いものの「なんとなく判る」程度である。そういう方のために少し私の経験を書いておこう。
中国の人はもちろんだが、欧米でも地震に慣れていない人は少なくないと書いてきた。
日本でも東日本大震災や阪神淡路、熊本などの被災地で直接激烈な揺れを経験した人以外は、情報は多いものの「なんとなく判る」程度である。
そういう方のためや、中国の人や、欧米の人のために、少し私の経験を書いておこう。
「お兄ちゃん! 揺らすのやめや!」
ともう36歳になる次男は、阪神淡路大震災の時、ベッドの上で叫んだ。
「おとうさん、なんかいっとるで!」
と二人は顔を見合わせた。
先の会話は、2段ベッドの子ども部屋で、次男坊が「えらい揺れるので、兄が先に起きて、ベッドを揺らしている」と思ったからである。
当時、1月17日、冬の朝の5時半頃、兄と弟は、木製の2段ベッドで寝ていた。後から考えると、ベッドの足は10センチ角くらいの木製で丈夫だった。もし細くて折れていたら、下に寝ていた兄は、怪我か悪くすると圧死していただろう。
兄は中学3年、弟は小学校6年生だった。
私たち夫婦の和室には、タンスといった家具はなく、天井の蛍光灯は天井直付けで、揺れたりはしなかった。これは4LDKのマンションの部屋総てが同じだった。
25年前、私は姫路にある県立施設勤務。1.8キロ西にあるJRの西明石駅まで歩く、そして姫路まで、出る。JRの待ち時間や、姫路からのバスを考えると、明石から2時間近くはかかる。
因みに明石-姫路間は34キロある。前に地図をあげたが、神戸に隣接する明石からは、神戸-大阪間より少し遠い程度である。関東などの方のために、関西空港や、USJ、芦屋市、宝塚市、大阪駅(梅田駅)なども書き入れておいた。
さて、1995年1月17日。
いつも5時半頃には起きていた。まだ暗い中、腹ばいになって起きかかっていた。
揺れ出して、ただ事ではないと思ったが、なんと揺れの度に腹ばいのまま、身体が布団の外へ押し出され、そして立ち上がることが出来なかった。
「うごくな!」と子ども部屋に叫んだのが先に書いた「おとうさん、なんかいっとるで!」である。
ア・寝室には背の高い家具は置かない。置くなら転倒防止装置をつける。
リビングには冷蔵庫や食器棚がある。観音開きの食器棚からは「ガチャン!ガチャン!」と食器が落ちて割れている。
揺れがおさまって、立ち上がって寝室の一番近くにある懐中電灯を思い出して点けた。1995年だから、一般の人に、携帯電話とかスマホはまだない。液晶テレビもLEDもない。インターネットもまだ途上である。
「危ない!」
リビングは食器類が割れて散乱している。恐る恐る進んで、北にある子ども部屋にいった。電気がつかないので、納戸とか書斎とかは確認しようがない。
6時45分くらいになって、辺りが薄明るくなってきた。
「あらら、川重えらいことやで」
私の部屋はマンションの6階。西にある小さなバルコニーから、川崎重工業が見える。ヘリコプターやバイクの工場である。東西2キロ、南北300メートルくらいの大きな工場だ。
その工場内に走るダクトが、落下している。それに、ガスの臭いがする。あわてて自分の家の室内を見たが、どこからもガス漏れはない。どこか外で漏れているらしい。
南のベランダに出ると、瀬戸内海と、視界の端の方に建設中の世界一の吊り橋「明石海峡大橋」が見える。なんともないようだ。
後日、判明したところでは、巨大な橋の基礎が1メートルずれたという。建設には支障がないようだった。
「あんなもの造るから地震になったんだ」という人も現れた。まあ、吊り橋のワイヤーの基礎を支える部分には、山ほどもあるコンクリートの塊が造られている。何万トンか万十万トンか?
さて、とにかく、ライフラインは総てダメである。ぼちぼちと、リビングの割れガラスを片付けていた。危ないので歩けない。
食器棚自体は倒れなかったがズレている。冷蔵庫にテレビはキャスター付きだったので、ダイニング・リビングの床を少しゴロゴロと動いて倒れなかったらしい。
イ.マンションの強化プラスチック製の受水槽は破裂した。
7時を過ぎた。ドアから出て、北を眺めていた子どもたちが、呼びに来た。
「なんや、なんや?」
飛び出してみると、50メートルほど離れた国道2号線に大量の水が流れだしていた。
「どこやろ、水道管か?」
と思っていたら、自分の住んでいたマンションの受水槽が破裂していた。120戸あるので家ほどもある強化プラスチック製の受水槽が地上にある。それの一部が割れて、水が噴き出して国道に流れたわけだ。
結果、その後ひと月、水に不自由する。しばらくして電気とガスが復旧し、給水車も来たが、最初はエレベータも動かず、水運びに苦労する。幸い息子2人が活躍してくれた。他の高齢者にも運んであげたようである。これは嬉しかった。
もっとも、フロは使えない。1週間もすると風呂屋で開いているところが出てきたが、「湯が50センチしかなかった」と息子達が嘆いていた。とりあえず、平時から飲み水とトイレの水は少し用意しておこう。
私は現在一人暮らしだ。それでも、月末に5リットルのタンクの水と、2リットルのペットボトルの水を交換する。奇数月と偶数月に分けているので、常時10リットルの水と、飲み水4リットルはあることになる。
自宅の被害だが、食器は半分ほど壊れた。パソコン用のテレビは吹っ飛び、本は落下し、ピアノは20センチほど横に移動している。タンスは背が低いので倒れていなかった。
マンションはひび割れが見られたが、その後の検査で、躯体は大丈夫であった。ひび割れの補修をし、受水槽は鋼鉄製にかえた。
現在は受水槽を撤去して、水道管から直接のポンプアップとなっている。また、全面的な大規模改修のことは少し書いているが、耐震性は上がっているのかやや不安である。
因みに、ビニール袋は、大中小と余分に置いておこう。水を運んだり、バケツを簡易トイレにしたりと便利だ。ラップで食器を包んで食べ物を入れて、食事の後はラップだけ捨てる。洗い物をしなくていい。
新聞紙も便利だ。少しでいいから置いておくと、割れ物を包んだり、寒いときは服の下に入れると暖房にもなる。ガムテープ・大きめのビニールなどと一緒に使うとガラス窓の破損にも使える。
こういうビニール袋や新聞紙は保管場所も取らないし、安くて経済的である。
続く
■筆者プロフィール:石川希理
1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小学校・飛松中学校・星陵高校・神戸学院大学・仏教大学卒です。同窓生いるかな?小説・童話の創作と、善く死ぬために仏教の勉強と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文芸祭りの選者(それぞれ随筆と児童文学)をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時折友人達などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時折禁酒(笑)。中学教員から県や市の教育行政職、大学の準教授・非常勤講師などをしてきました。児童文学のアンソロジー単行本数冊。小説の自家版文庫本など。「童話絵本の読み方とか、子どもへの与え方」「自分史の書き方」「人権問題」「瞑想・仏教」などの講演会をしてきました。 ブログはこちら
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